数による納得と対話による納得

   中2 あかるら(akarura)  2026年2月1日

 イスラエルを旅していたとき、「ここでは全員一致の裁決は採用しない」と聞いた。これには一致できる案件をわざわざ裁決にかけないという事情があるのだろう。熟慮せず答えているケースや反論できない状況を勘案すれば、理屈は理解できる。また、はっきりと自分の立場を選択することの困難な問題も多い。僅差のイエスとノーをどのように判断するか。考え始めると全員一致を排除するパラドックスも多いに意味を持つように思えてならない。

確かに物事を円滑に判断、決断するために多数決は大切だ。大人数での全員一致の話し合いは骨の折れる作業である。この場合に多数決は有効に機能する。中学生の身近な選挙はやはり生徒会選挙だろう。私は監察委員会という選挙の運営に携わる委員会に所属している。昨年に引き続き監察委員会として二度目の選挙が先日行われたが、今年は衝撃的な出来事があった。同学年から三人が会長に立候補し、結果女子一人が当選した生徒会選挙だったが、この結果には私は驚愕した。同学年全員の票を数え確認していったが、会長候補内では圧倒的に別の男子一人の支持率が高く、メンバー全員が彼は当選するだろうと予想していたからだ。しかし、結果は残念ながら落選。確信していた予測が外れ驚いたことを覚えている。その後の生徒会内の情報では私達の予想とは異なり、当選した彼女は他二人の立候補者と大差をつけていた、という噂もある。落選した彼は「せめて票数を明らかにしてほしい」と悔しさを滲ませ委員会に何度も訴えたが、ルール上できないと否定されていた。この一連の出来事から、私は数の力の絶大さを実感した。多数決は確かに有効だが、全ての意見を吸い上げるわけではないため、偏りがあるなどの危険を孕む。しかし、そこから出た数値は誰もが客観視することができ、自分に対する世間の評価が一目で分かる良さもある。数日後、彼は自分を俯瞰し、彼なりに気持ちを治めたようだったが、完全に納得できたわけではないだろう。多数決は、全員の納得を得られなかったとしても、多くの人から賛同を得た考えに対して「数の力による納得」をし、事を前進させるための一つのツールだと言えるだろう。

一方で、数の力だけではなく、協調性を持って話し合うことが大切だ。なぜなら一致団結で発揮される力は大きいからだ。これは昔話「桃太郎」でも言える。桃太郎とその仲間は最終的に鬼を退治し、村の平和を獲得するがその裏にはそれぞれ納得した上での協力関係がある。桃太郎と家来が各々の力や特技を合わせ、全員一致で鬼に立ち向かって戦ったからこそ目標を達成することができたと考えられる。現実ではたとえ少人数であったとしても全員がすぐに意見を一致させることは簡単なことではない。私の学校でもよくディスカッションの授業があるが、短時間でグループとしての意見がまとまったことは少ない。全員がそれぞれに対する協調性の姿勢を忘れずにいたとしても時に誰かの意見を取り入れることができないときもある。しかし長い時間をかけ、対話を重ねて出来上がった班の意見は皆が自信を持つことができ、周りへの強い印象と説得力のあるものになると授業を通して私は学んだ。話し合うという「過程」に時間を費やすことも、より納得感と絆を生むのだと考える。確かに、「全員一致」は難しい。時間も手間もかかってしまう。しかし、だからこそ、相手との力強い繋がりや協力体制が得られる。「三人寄れば文殊の知恵」ということわざも示すように、妥協せず全員で考え抜いたアイディアは何よりも強く、価値のあるものだ。

確かに、多数決にも、全員一致まで話し合うことにもどちらにも良さがある。限られた期間の中で決を取らなくてはならない状況であったとしても、最も大切なことは全員が絶えず考え続けること、つまり考えることを放棄しないことである。「思考を放棄することは、人間であることを放棄することだ。」という言葉がある。自分の決断を周りの流れに身を任せるような気持ちで軽く捉えることは意見を団体や社会に反映させる貴重な機会の無駄遣いである。話し合いの際はもちろん、多数決であっても自分の一票や発言に責任を持ち、最後まで考えた上で私の結論を出していきたい。