制御不可能な自然

   中3 かののん(kanonon)  2026年1月2日

 農業は、極めて恣意的な営みである。農耕も含めて、そうした「文化」的な営みの中においてだけ、人は自然を自分たちのコントロール下に置いたような気分になるのだ。しかし実際には、われわれの望むもののうち、自然の合意を得られた分だけを、ゆるゆると進めることしかできないのである。日照、降雨、気温、土壌といった条件の一つが欠けるだけで、農業は簡単に成り立たなくなる。この事実は、人間が自然の支配者ではなく、あくまで自然の大きな流れの中に生きる存在であることを示している。だからこそ私は、人間の立場を過信することなく、自然を受け止めながら生きていきたい。

 そのためには、第一に、自然の偉大さを知ることだ。その具体例として、映画『岳』がある。この映画は、山岳救助隊として働く主人公が、遭難者を救うために命がけで山に向かう姿を描いている。救助隊は日頃から厳しい訓練を積み、装備や知識も万全に整えている。それでも、山では天候が突然変わり、晴れていた空が一瞬で吹雪に変わることがある。視界が奪われ、体力が奪われる中で、救助を続けること自体が命の危険を伴う。映画の中では、どれほど経験を積んだ救助隊であっても、自然の前では判断を誤れば命を落としかねない状況に置かれる。人間の善意や努力、技術がどれほどあっても、それだけで自然を乗り越えることはできないという現実が、重く伝わってくるのだ。

 そのためには、第二に、学校教育の中で、自然に触れる経験を増やしていくことだ。私の学校でも農業体験は一年に一度ほど行われているが、あらかじめ日程や作業内容が決められ、安全面にも十分配慮されたものである。そのため、自然の影響によって計画が大きく変わる経験や、人間の判断が通用しなくなる場面に直面することはほとんどない。一方で、私は個人的に、母の元同僚が管理している田んぼの手伝いを一年に二回ほどしている。そこでは、作業の予定が天候によって何度も変更される。前日まで準備を整えていても、雨が降れば田んぼに入ることはできず、逆に天気が急に回復すれば予定を早めて作業を行うこともある。稲の成長は待ってくれないため、人の都合よりも自然の状況を優先して判断しなければならない。実際に作業に関わる中で、農業は計画通りに進めるものではなく、その都度自然の状態を見極めながら対応する営みであると実感した。この経験を通して、人間は自然を動かしているのではなく、自然に動かされている存在なのだと強く感じた。だからこそ、学校教育においても、結果だけを体験させるのではなく、予定が崩れたり、判断を変えざるを得なかったりする過程を含めた、より現実に近い自然体験を取り入れるべきだと考える。

 確かに、ときには人間が自然を管理することも必要だ。災害を防ぐための対策や、農業を続けるための工夫は欠かせない。しかしそれは、自然を支配することと同じではない。「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」という言葉が示すように、人間は自然の秩序の中で生きている存在である。私はこの言葉を胸に刻み、自然に対して謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたい。