自然と経済の環境保護バランス
小6 あこまき(akomaki)
2026年2月2日
私の家は自動車がやっと通れるぐらいの路地に面している。3年前まではその路地は様々な人や動物の散歩道として利用されてきた。大学生になった娘も、懐かしげにこの道のことを話すが、実際近所の子供たちの溜まり場でもあった。何が彼らをこの路地に引きつれたのだろう。女の子や小さい男の子が草の葉を引っ張っている姿を私はよく見かけた。彼らはこの道で地球のかけらを発見していたのではないだろうか。しかし、数年経って路地全体が下水道工事を始まった。地面が掘りかえされ、車の振動で下水管が壊れぬようにしっかりほそうされてしまったのだ。様々な草花は消えてしまい、道は車向きの道路になり、地球のかけらではなくなってしまったのだ。町中の雑草に対する人間の態度は時と場合によって様々である。ハイキングに行けば「緑がいっぱいで気持ちいいわねぇ」と喜ぶ人も、自分の庭に出てきた雑草を血眼で引き抜いてしまう。人間は自然に対する態度が身勝手だと私は思う。
皆は自然保護ということを体験したことはあるだろうか。また、考えた事はあるだろうか。多くの人はあると答えるのではないだろうかと私は考える。しかし、その答えはただの薄っぺらい考えに過ぎないと思う。自然を保護するとは何なのだろうか。プラスチックの削減?地域のゴミ拾い?それはどれも間違っていない。しかし、自然保護というものは未知の奥深い世界ではないだろうかと私は考える。私は、去年に自然を保護する運動、伐採活動に取り組んだ。伐採活動では主に三つの仕事があった。木を切る仕事。どの木を切るかを考える仕事。切った木に目印をつけて、薪にする仕事。私は、チョークというもので切られた木に同じ間隔で印をつける仕事をした。最初の私は、木を切るのは薪にするためだと思っていた。しかし、その考えはどれも違った。切られていた木は、どれも悪臭がして、近くに寄りたくないほどの変な匂いだった。また、木口を見てみると、全てが腐食されていて黒い色をしていた。この様な姿では薪に使えないのではないのだろうか。そのことを後から聞いてみると切った木々たちは全てナラ枯れの木だったらしい。虫が木を食喰って住み着く。すると、木が腐ってしまい枯れてしまうのだ。だから、木を切る人は腐っていた木や、虫に喰われていた木、日陰を作ってしまった背丈の高い木だけを伐採する。虫や木、火の光、空気の澄み具合などを気にしながら切っていたことに私は感心を覚えた。現在の日本では、森を切り、家を作り道路を設備し、新しい敷地を作っている。それは果たして本当の環境保護だろうか。本当の環境保護とは、適切な自然と人間のバランスをとりながら行動することだと思う。本当の自然保護。それは本当に難しい事なのである。未来の森の事を考えながら、木を伐採、設備する人はどれだけ行動力や洞察力があるのだ。その様な人は秀逸なのだと思う。
ダスダプタ・レビューは『自然は単なる景観ではなく、富を生み出す工場である』と言った。この言葉は私たちが今現在、行なっている事は、利子だけでなく元本を削って生活しているという状態を示してくれたものだ。現在の世界は、環境と経済のバランスを壊していただけなのだ。この現実を君はわかって過ごしていただろうか。なぜ、このようにバランスが崩れたのか、それはこれまでの経済学で森を切り倒して木材を売れば利益として計上される一方で、失われた二酸化炭素吸収機能や水源涵養機能は無料と計算されて来たからだ。この計算は間違っていると私は思う。一方的に利益を得ているだけで、環境には悪影響を及ぼしているだけなのだ。また、この様なニュースを聞いたことはないだろうか。1998年に起きた中国・長江の洪水の災害のことだ。これは、敷地が欲しいあまりに上流の森林伐採を度が過ぎることにより起きた災害だ。森林の元の保水力が失われて大洪水が発生したのだ。数千人の犠牲者と三兆円にわたる被害が出た被害が大きい洪水だったのだ。このニュースについて私は、何事にもバランスは必要不可欠なのだと思った。環境と経済というバランスが崩れてしまうといずれ、世界は滅びてしまうのではと思った。何事にもやり過ぎはよくない。未来の事を考えず、後先を考えないのが一番良くないのではないだろうか。
人間にとって自然保護とは自然という境界線をどこに引くのか折り合いをつける知恵だ。庭や道端に生えている雑草は大きな木や草に栄養を与えるために抜き、森林などでは、手を入れなさ過ぎずに手入れをする事が大切なのだ。しかし、何事にもやりすぎということは良くない。必要以上に手を加え、自然や環境破壊に繋がってしまったら意味がない。世界のバランスを考えながら、行動をし、一線を引くことが肝心なのである。まるでビュッフェの様な事である。過ぎたるは猶及ばざるが如し。これは何事もやり過ぎは、やらない事と同じくらい良くないという意味だ。中途半端なことも困るが、度を越してやり過ぎてしまうのも、結果としては同じように悪い未来へとつながると思う。そうなのではないだろうか。少なくとも私はそう思う。環境を保護するためには自然と経済のバランスが必要なのだ。皆も、環境破壊と環境保護。そのバランスはどこからなのか。そのことを少しでもいいから考えてみてはどうだろうか。