かたち
高1 あかぬり(akanuri)
2026年2月2日
私たちは未知と偶然の要素を置く含んだ旅に出るとき、一種のあやしい胸のときめきを感じる。日常の惰性的な生活のなかで閉ざされた私たちの心を、旅は聞かれた、予感にみちたものにする。ふだんの安穏無事な生活のなかでよりも、ひとは旅に際してわが身を見つめるようになるのである。私たちにとって新たならざるを得ない旅では、より強く好奇心は突き動かされ、働くようになる。好奇心とは、私たち人間の知的情熱にほかならない。日に日に発見や創造の喜びをもって生きていくためには、知的情熱としての好奇心をいきいきと保っておかねばならない。関心こそが知を拓くのだ。
感受性豊かに、濃い人生をおくっていくべきだ。
第一の方法は、ときに、日常からはなれたものごとに出会うことだ。僕は、海で遊ぶのが好きだ。夏になると毎年、地元の海で泳いだり、磯にナマコやタコを探しに行ったりしている。プールではなく海というのはすごく大きなポイントだ。海なら泳げるだけでなく、生き物と触れ合えるのだ。一石二鳥である。地元の海では、チヌの小魚や、キス、ハゼ、運が良ければコウイカの赤ちゃんと一緒に泳げる。それでもうすばらしいひと時を過ごせていたのだが、去年の夏、最後の海は、宇和海へ行くことになった。宇和海とは、愛媛県南予と大分県の間に位置する海である。温暖な海のため、熱帯魚も多く生息している。今まで僕がしっかり間近で触れ合ってきた海洋生物は、瀬戸内海に生息するものだったから、熱帯魚と泳ぐのは初めてだった。そんな中ワクワクしながらその海に潜った途端、なにか不思議な感覚に襲われた。今まで、ガラス越しや画面越しでしか見たことがなかった温暖な海域の風景が、目の前に現れたのだ。自分が人であることを忘れ、本当に自然の中の一つの存在としてその海の中にいるような感覚を強く感じた。僕は正直、見るのも食べるのも瀬戸内海の魚が一番好きだが、その日はそのようなことも忘れて、自然そのものになって魚たちと泳ぎ続けられた、いい経験になった。来年地元の海でまた泳ぐときには、今までよりも強く、自然のぬくもりを感じられると思う。
第二の方法は、一人で考える時間を大切にすることだ。銀河鉄道の夜や、注文の多い料理店などの作品を残した宮沢賢治は、若いころから体が弱く、一人で過ごす時間も多かったという。そのため、自然の中で一人、散歩しながら、様々なことを思索していたそうだ。それは作品にも表れていると思う。たとえば、銀河鉄道の夜では、主人公ジョバンニは本当はずっと一人だった。いっしょに旅をしていたはずのカンパネルラは実はもう死んでしまっていたのだ。だから、ジョバンニの旅は自分との旅だったのではなかろうか。僕も一人だからできないこともあれば、一人だからこそ考えつくこともある。「孤独は魂の休日である」というアメリカの作家のカトリーナ・ケニソンの名言があるが、孤独は魂の大爆発でもあるだろう。一人で思索する時間は人生においてとても重要なのだ。
たしかに、濃い人生をおくろうとせずに、ぼうっとした時間でしか得られないものも大切にすべきだ。しかし、濃い人生とは、すでに一般的な型が決まっているものではなく、 自分の感受性次第で様々なかたちに膨らんでいくものだ。だから、感受性豊かに、自分の思い描く濃い人生を創っていくべきだ。