自然を「守る」ためには、「守らない」
小6 とやちな(toyatina)
2026年2月2日
家に面している路地で下水道工事が始まり、地面が掘り返されてしまい植物は姿を消してしまった。というように、雑草に対する態度は時と場所によってさまざまである。例えば、ハイキングに行けば「緑がいっぱいで気持ちが良い」言い、喜ぶ。それに対して、自分の庭に出てきた雑草は血眼で引き抜いてしまう。っ雑草も立派な自然であり、大切にするべきである。
僕が住む街には高尾山がある。幼稚園や小学生の遠足では高尾山に登るほど登り慣れていて、まるで家の庭のような存在だ。高尾山は世界一登山者が多く、その要因としては山道がコンクリートの道もあることが挙げられる。それに対して、家の裏にある山は道が整えられておらず、いつクマが出てきてもおかしくない。けれど、たくさんの草花が生えているため地域のおじいさんやおばあさんが登る姿がよくみられる。昔の私にはその山を登る理由が分からなかった。なぜなら、その山を登るくらいなら高尾山を登ったほうが安全だからだ。今は理解することができた。高尾山は整備され人が多いため道にある草が踏まれてしまっていたり、生き物がヒトになれてしまっていたりする。裏山は、整備がされていないぶん、自然本来の輝きが見ることができる。だから、地域の人がよく登る。この経験から、自然と言うのは人間が関与してしまうと美しさを損なってしまうということが分かった。
今はどこもかしこもSDGsや環境保全などと叫び自然を大切にする活動を支援しているところが多くなってきている。それは、良いことであるが、資源を大量に消費していることはあまり変わっていない。例えば、買い物をしたとき手提げを忘れてしまった場合、少しぐらいなら大丈夫だと言いレジ袋を買ってしまうことが多いだろう。ただ、そのような気の緩みが重なることによって、今問題が起きてしまっている。ところで、近所のおじいさんは毎日のように山の整備や動植物の調査、自然保護の大切さを伝える活動など、自然保護に全力を尽くしている。そのため、忙しく疲れている様子がうかがえる。以上をふまえて、自然を大切にする動きが強まるなかで、どんどんと保護活動をしている人に負担をかけさせていることが分かる。それは、自然が守り切られる前に保護活動をしている人が破壊されてしまう。よって、エコマークがついている商品を買うことも大切であるが、植林活動をするなど自分がすることが一番大切である。
自然とは、もともと維持していくことができるものであり、人間が手を加える必要はない。もし、手を加えてしまったら、本来の美しさを失ってしまう。また、奄美大島でハブを根絶するためにマングースを輸入して失敗しているように維持できていたものができなくなってしまうことがある。私の近所のおじいさんのように自然保護活動をしている人がいるのは、資源の節約を怠り自分たちの都合で管理しようとしたせいである。本当に、自然を大切したいなら、守ろうとするのではなく破壊することをやめるべきではないだろうか。