ある書物が良い書物であるか

   高2 とやさく(toyasaku)  2026年2月1日

 書物に含まれている世界によって、よい書物かどうかを決められると作者は述べている。また、筆者は若い頃、話すことへの不信感から書くことを覚えるようになり、自分探しに読書をするようになった。そこで、書物の中の方が周囲の人間よりも自分の同類が見つかるのはなぜかという問いに対して、自分の周りにいる人たちも実はしゃべることでは他者と疎通しないという思いに悩んでいるのではないかと考察した。文章を書くことを専門とするようになった筆者は、この答えを戒律としてきた。私は、相手もまた自分と同じなのだと思うべきだと考える。

 そのために、一つ目の方法として相手の立場に立って考えることだ。言葉を交わさず、他人の思考や行動をわかることが可能だからである。私が所属する部活動の同期の一人は、とても元気で明るく、目上の人にも積極的に声をかけに行く活発な人である。このような性格であるため、私は彼女のことをメンタルが強く、緊張などしない人なのだと勝手に思い込んでいた。学年が上がり出場する機会が増える公式戦が近づいた際、いつもアクティブな同期は口数が減るようになった。口数が減るということは、私と一緒で彼女も緊張したり不安になったりすることがあるのだと、私が彼女の立場になって想像した時に思い知った。このような相互的なコミュニケーションが取れない状況でも、想像力を駆使して相手の立場に立って考えれば、相手と私自身が同じ人間であることを思い出せることができる。

 そして、二つ目の方法として、偉人について知る機会を増やすことだ。私たちは偉業を残した人に対して、彼らは人間性が素晴らしく、完璧な人物であるのだというバイアスがかかるだろう。しかし実際には、偉人も私たちと同じように人間味あふれる残念なエピソード持っている。例えば、野口英世は近代日本の医師を代表する者と言っても過言ではないが、実は借金王という情けない一面もある。研究費に使うと言って友人から借りた金で遊びに行くことがあるほど、彼は人間臭いところもあるのだ。身近な出来事で例を挙げるならば、偉人に対して同じように、私たちは「大人」に対しても勘違いしていることがあると思う。小学校低学年の時までは、大人になったら失敗もせず、悲しくなって泣くことはないと決めつけて考えることは私以外にもいたと思われる。年数を重ねるにつれ、小さい頃の思い込みは必ずしも正しいとは言えなくなるに加え、大人になっても小学生の時と何も変わっていないと落胆することだってある。歴史的偉人も「大人」も、表面上の素晴らしいところと内側にある残念なところとの差を知ることによって、自分自身との距離感を縮めることができる。

 確かに、私も相手も同じことを考えているからと決めつけて他人に要求することは、傲慢である。しかし、自分自身と相手の間には大きなギャップはなく、スタートラインは同じだと思いやりの心を持って考えることは大切である。他人は自分を映す鏡だ。相手も自分自身と同じであると思えば、その人も自分に対してそう思ってくれるのである。