価値観の固執
中2 あおらえ(aorae)
2026年2月2日
文化もパーソナリティも少しずつ変化し、ときには大きく急速に変化しうるものである。社会が組織化されるとともに、権力者の安全と満足を求める欲望が支配的なものとなった。しかし、今日、高度に統合的な組織性を強めた社会では、構造的力動によって作り出される交換価値こそが支配者の地位につく。情報化社会にあって、交換価値としての文化のコードを敏速かつ広域に浸透させるのを補助するのはマス・メディアである。欲望を満たそうとすることは活動する原動力となっているが、実現が難しい時、欲から解放された際の心の休まりを思う。このとき自然の中に逃れ身を守ろうとするかもしれないが、文化的なものを拒んでしまうことは不可能である。
自分自身のもつ価値観に従って生きることは大切である。他人や、他人の意見に流されず、自分の本心に従って生きられる。アンデルセン童話には、みにくいアヒルの子という童話がある。アヒルの群れで醜いといじめられたひな鳥が家を出て越冬する。苦しく、死のうと白鳥の元へ行くが、水面に映る自分が白鳥だと気づき、悲しみから解放されるという話だ。アヒルの価値観に従って醜いと思っていたが、実際には醜いわけではない。他人の価値観に従うのは危険を伴う。また、日本では個人よりも集団が重視される傾向にある。海外では皆がそれぞれの意見を言いあうが、日本では指名されない限り発言しない人が多いと感じる。しかし、それでは議論にならない。自分の価値観に従うことは大切だ。
しかしながら、その時代の価値観に合わせて行動することも重要である。例えば、近年デジタル教育を重視している、などと謳う学校も出てきている。私は海外に住んでいたのでいつからかは分からないが、2023年に帰ってきたときには既に一定数そのような学校があった。公立小学校にも導入されており、授業でも多く使われていたのだが、確かに便利である。例を挙げるとすれば、道徳の問で皆の解答を共有したことがあった。共有することで議論がより容易になり、意見の整理もしやすくなる。また、時間割や持ち物が共有されることで必要なものが一目でわかるようになった。デジタル化の波がおしよせてくるなか、その波に乗ることも大切である。
自分自身の価値観も、時代の価値観も、時によって変わりうる。その変動に合わせて行動することも大切ではあるが、しかし「岸を見失う勇気がなければ、決して海を渡ることはできない」と小説家のアンドレ・ジッドは著書「背徳者」で語った。自分の価値観も、時代の価値観も、見失うこと自体は容易であるが、なかなかそれをする勇気がない。どちらか一方に従うことが多い。日本においては時代の価値観であろうか。しかし、偉業を成し遂げた人の多くは、自分の、周りの価値観に囚われずに、自由な発想をもっている。だからこそ、ある特定の価値観に固執せずに感覚的に考え、行動することが肝要である。アンドレ・ジッドはこうも言った。「書を捨てよ、町へ出よう」