安全圏を超える経験の意義

   中3 かののん(kanonon)  2026年2月2日

 昨夏、女子大生の語学研修に同行してアイオワ州のある私大へ行ったが、彼らは揃いも揃ってにこやかな人々だった。心理的風刺のもとでなら、過剰だろうがなんだろうが誤解の余地もないほどに微笑んで敵意のないことを相手に示そうとするだろう。英語表現の基礎は語彙でも構文でもなく、伝えようとする意思、微笑もその姿勢だと教えていたのかも知れなかった。私は、笑顔を大切にして生きたい。

 まず大事なのは、相手を思いやる気持ちを持つことだ。私は2歳から15歳の今まで、自分とあったバレエの先生を模索してきたが、以前の先生の中には、私生活の不満や疲れをそのまま教室に持ち込み、椅子を投げたり、八つ当たりで生徒にいじめをする人もいた。レッスンでの指導が厳しいこと自体は問題ではない。だが、指導者の感情がそのまま空気に反映される環境では、生徒は無意識のうちに萎縮し、本来向けるべき集中力が削がれてしまう。それに対して、今の先生は常に精神が安定している。多忙であるはずなのに、疲労や苛立ちを表に出すことがなく、教室全体を程よく緊張感のある雰囲気で包み込んでいる。今も現役プロバレエダンサー並みの体型をキープしているが、不健康さを感じさせない。自己管理を徹底しながらも、それを誇示することなく、淡々と努力を積み重ねている。それは、技術以前に人としてどう在るかを示しているように思う。実際、内閣府の調査では、将来の目標となる大人、いわゆるロールモデルが「いる」と答えた若者は、「いない」と答えた若者に比べて自己肯定感や将来への満足度が高い傾向が示されている。私はまさに、今の先生を具体的なロールモデルとして持つことで、自分の在り方を客観的に考えるようになった。誰かを目標にできることは、自分の軸をつくることにつながるのだと実感している。

 第二に、幼少期から多くの人とコミュニケーションをとることだ。私は、幼少期から多様な環境で人と関わってきた経験が、今の価値観を形成しているのだと感じる。毎夏参加してきた国内外のサマーキャンプでは、初日は必ず孤立した状態から始まる。知らない土地、知らない言語、知らない人間関係。その状況に身を置くたびに、自分の未熟さを自覚させられた。しかし、そこで黙っていては何も始まらない。拙い英語でも、とにかく話しかけてみる。すると、好きな音楽やスポーツ、家族構成など、思いがけない共通点が見つかることがある。一方で、価値観や習慣が大きく異なる相手と出会うこともある。しかし、その違いを拒絶しないようにしていると、同じ人間なのに人によって全然違うのがむしろ面白いと感じるようになった。なぜそう考えるのかと問い直すことで、自分の視野が広がっていった。最終日には、別れが惜しくて涙が出るほど深い関係になることも少なくない。私は、人間関係は自然に与えられるものではなく、自ら働きかけることで築かれるものだと学んだ。そして、未知の環境に身を置く経験そのものが、自分の内面を鍛える訓練になっていたのだと思う。これからも、安心できる場所にとどまるのではなく、あえて新しい環境に身を投じる選択をしていきたい。

 確かに、困難や緊張を伴う環境に自ら飛び込むことは楽ではない。しかし、それを避け続けていては、自分の輪郭はいつまでも曖昧なままだと思う。「人は、居心地の良い場所から一歩踏み出したときに成長する」という言葉が示す通り、人は以後ごちの良い場所から一歩踏み出したときに成長する。厳しい指導に向き合うことも、初対面の相手に声をかけることも、安定したロールモデルの背中を追い続けることも、どれも簡単ではない。だが、そうした経験の積み重ねによって、私は少しずつ「どう生きたいか」を具体化してきた。笑顔を選ぶこと、感情を律すること、他者を尊重することは、状況任せではなく意識的な決断である。私は、困難を単なる試練として受け身で耐えるのではなく、自分を成長させる資源として活用できる人間になりたい。そのためにも、思いやりを基盤としながら、自分自身を鍛え続けていく覚悟を持ちたい。そうした積み重ねの先にこそ、無理に作るのではない、本当の意味での笑顔があるのではないだろうか。相手に敵意がないことを示すための笑顔ではなく、自分の在り方に裏打ちされた笑顔を大切にしながら、これからの人生を歩んでいきたい。