安全な道を辿らない

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 旅行をする際に旅行案内記を広げ、専門書を読み、わからないところを色々な人に話を聞いてみる。こうすれば大きな失望や違算を生じる心配が少なく、主要な名所旧跡をうっかり見落とす気遣いもない。しかし、この安全な方法にも短所はある。読んだ案内所や聞いた人の話がいつまでも頭の中に巣をくっていて、それが自分の目を隠し耳を覆う。一方で、曲がりなりにでも自分の目で見て自分の足で踏んで、その見る景色踏む大地と自分とが直接にぴったり触れ合う時にのみ感じ得られる鋭い感覚を味わわなければ何にもならないという人がある。こういう変わり者はどうかすると万人の見るものを見落としがちである代わりにいかなる案内記にも書いてないいい物を掘り出す機会がある。安全な方法よりも自分なりのやり方を求めるべきだ。

 第一の方法は、最初から全てを定めておかないことだ。何かに取り組む際、始める前から細部に至るまで決めてしまうと、無意識のうちにその存在にとらわれてしまい、柔軟性を失い、場合によっては袋小路に迷い込む可能性がある。もちろんおおまかな方針を決めておくのは大切であるが、それは細部に至るまで縛り上げるものでは全くない。例えば、旅行に行く際に、細部に至るまで計画し、時間に一切の無駄のない設定を事前に組むことは一見効率的に見える。しかし、ガイドブックやネットの情報だけでは観光地が自分に合っているかどうかはなかなかわからない。実際に行ってみたら素晴らしい場所で、予定よりも長く滞在したいということがあるかもしれない。しかし、事前に練り上げた計画が頭にある場合、その存在を完全に消し去るのは難しい。パリでいうエッフェル塔のような旅行客必須の観光地をいくつかメモしておくぐらいで、後は実際に行ってみてからその場所と自身との相性によって比重を変えていけば良いのだ。実際にやってみない限り、どのように進むかを完全に理解するのは困難である。柔軟に思考を変える余地を残すためには、事前に細部まで方法を決め、それに捉われてしまうことは悪手だ。

 第二の方法は、挑戦自体を評価することだ。試行錯誤し、時には失敗することで人間は成長していく。冒険心と諦めない強靭な精神、忍耐力は必ず成功すると決まったレールの上を走っているだけではてにはいらない。そして人類の技術の発展はほとんど全てが挑戦の歴史だといえる。新しい物を生み出すというのは未知の領域に挑むということと同値だ。わかりきった正解が存在しない以上、挑戦は試行錯誤の連続となる。このような人類の最先端の話に限らず日常においても挑戦することの大切さは変わらない。例えば車を運転することも最初は自分にとっては未知の領域だ。そして、最初から思い通りに車を操れるわけでもない。しかしその過程を経ることによって自身の生活をより便利にすることができる。徳川家康は三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗している。兵力にして倍の差があり、しかも武田家は当時最強の騎馬隊を有し、徳川方が負けることは誰の目にも明らかであった。しかし、徳川家の領地を武田が進軍するのをみすみす見逃し、織田信長が武田に攻撃されることなってしまうと、家康は不甲斐なく、同盟者として頼りない人物として後に汚点を残すと考え、それよりは戦って負ける事を選んだ。三方ヶ原の戦いによって家臣団の結束は強まり、また徳川殿は信のおける御仁という評判を勝ち取る一因ともなる。つまり戦いの勝ち負けよりも戦ったかどうかが評価されたのだ。

 確かに安定的に結果を出すことも大切だ。今の社会は結果を出せるかどうかでほとんど全てが決まる。最近は変わってきたようだが、それでも大部分の受験で、合否を分けるのはどれだけ受験勉強に時間を費やしたかでもどれだけその学校への進学を希望しているかでもなく、当日の点数のみである。確立された方法、安全なやり方を選んで確実に結果を出していくことは必要である。しかし、深い川も浅くわたるような失敗を受け入れる気楽さも重要だ。自分なりの新しい道を追い求める人生の方が、決まりきった道をただ歩く人生より豊かなものになるのではないか。