余白の大切さ

   中1 あかえか(akaeka)  2026年2月2日

 縁日であるから、やはりそこには、日常生活の時間の流れと異なった、様々な偶然の介入があったほうがよい。差し当たって、新聞の中にそうした偶然が潜んでいる空間を探すとすれば、それはやはり、あちこちに散らばっている情報である。情報もできるだけ、あまり人と分かち持ちたくないものに直接プラスになるといったもののほうが、意外性の面ではより高いように思える。自分が知っているから隠れた意味が明らかになるといった事実は、それらしくないところに置いてあったほうがよい。

 余白や一見関係なく見えるものにもっと目を向け、その価値を再確認するべきだ。

 そう思う理由は第一に、一見関係なく思えるものの存在があることで記憶しやすくなるからだ。例えば、学校での社会の授業でも、学生である限り覚えないといけない単語をそのまま覚えるよりも、それに関する雑学などがあれば、記憶に残りやすい。最近、社会の授業では室町時代の政治について学習しているが、先生は現在の沖縄に当たる「琉球」は「14世紀の沖縄」や、琉球の伝統的な歌に美しい旋律を添える「三線」には、ハブという蛇の皮が使われている、三線は日本の本州にわたる中で三味線となったなどの覚えないといけない「三線」や「三味線」などを楽しく、わかりやすく覚えられるようにしているのだと思う。

 余白や一見関係なく見いえるものにもっと目を向け、その価値を再確認するべきだと思う第二の理由は余白や休憩がなかったら疲れてしまうからだ。例えば、学校で配られる保健だよりや、生徒指導のプリントなどが、すべての文字が同じフォントで同じ大きさだったら、どれだけ大切なことがそこに書いていたとしても読もうという気が起こらないし、読み進めていったとしても、自分が今どこの行を読んでいるのかなどで精いっぱいになってしまい、肝心の内容が頭に入ってこないからだ。私の学校で配られる生徒指導などのプリントは、伝えたい内容ごとに書く場所が違っていて、その間は何行か空いていたり、文章の周りにスタンプなどがあるため、とても読みやすくなっている。

 確かに、余白や休憩をとることで時間やスペースなどがなくなってしまうかもしれない。しかし、「時間を作る第一の方法は、急ぐことではなく、どこに時間を使うか考えることである。」という名言があるように、余白や休憩を適切に取り、利用することが大切である。