わてひさんの作文は、夏目漱石の『坊っちゃん』を起点に、日本の「個人」と「世間」の関係を深く考察している点が非常に優れています。
作品の具体的な描写を通じて、個人主義が根づきにくい日本社会の特性を明確に示しているため、読者に説得力を持って伝わります。
また、歴史的背景として農耕社会や島国という地理的条件を挙げ、それが国民性に与えた影響を論じている点も説得力があります。
特に、クラスでの体験を交えた具体例があることで、抽象的な議論にリアリティが加わり、わてひさん自身の考えがより身近に感じられました。
ダーウィンのガラパゴス諸島の例を用いて社会の独自性を説明した部分は、自然科学の実例をうまく取り入れた好例です。
さらに、「出る杭は打たれる」を「打たれる杭こそが、地面の硬さを知る」と言い換えた表現は、ことわざの加工として非常に印象的で、わてひさんの独自の視点が光っています。
全体を通して、書き出しの「個人」と「世間」の問題提起が結びの部分でもう一度強調されており、論旨のまとまりが感じられます。
このように、多角的な視点と具体的な実例、独自の表現がバランスよく組み合わさった作文であり、非常に完成度の高い内容になっています。
【項目評価】
原因がよく書けています。
社会問題の主題がよく書けています。
体験実例がよく書けています。
自然科学の実例がよく書けています。
ことわざの加工がよく書けています。
書き出しの結びがよく書けています。
内容◎ 構成◎ 題材◎ 表現◎ 主題◎ 表記◎
字数/基準字数:1568字/1200字
思考点:95点
知識点:98点
表現点:88点
経験点:95点
総合点:100点
均衡点:6点
■思考語彙 27種 36個 (種類率75%) 95点
確か, 第,。しかし,。むしろ,。一方,ことこそ,たため,たはず,だろう,て思う,でこそ,と思う,と考える,ないと,なければ,に思う,の第,はむしろ,は思う,は考える,導くため,強く思う,条件によって,杭こそ,潮流によって,言おう,貫こう,
■知識語彙 87種 136個 (種類率64%) 98点
不十分,不可欠,不安,世間,主張,了解,交流,位置,作業,価値,個人,傾向,優先,共同,内部,協調,原因,同質,周囲,固定,国民,国際,地理,地面,場面,外部,姿勢,存在,安定,島国,必要,志向,意見,接触,摩擦,敬遠,文化,方向,日本,日本人,時期,暗黙,曖昧,有効,本当,条件,歩調,歴史,活動,潮流,物事,独特,独自,理性,環境,生存,生息,生物,異質,発言,着想,社会,秩序,稲作,空気,立場,管理,経験,結果,維持,自分,自己,自身,行為,衝突,表現,評価,課題,論理,諸島,責任,農耕,進化,鎖国,関係,隔離,頻繁,
■表現語彙 133種 212個 (種類率63%) 88点
確か,うえ,がち,こと,ことわざ,ごと,さ,それ,たため,たはず,とき,どこ,みんな,やり方,よう,ガラパゴス,クラス,グループ,ダーウィン,ペース,一,不十分,不可欠,不安,世間,中,主張,了解,二,交流,人,位置,体,作業,価値,個人,傾向,優先,共同,内部,前,化,協調,原因,同質,周囲,和,固定,国民,国際,地理,地面,場面,外部,姿,姿勢,存在,安定,導くため,島,島々,島国,形,必要,志向,急,性,意見,接触,摩擦,敬遠,文化,方向,日本,日本人,時期,暗黙,曖昧,有効,本当,条件,杭,歩調,歴史,水,活動,潮流,物事,独特,独自,理性,環境,生存,生息,生物,異質,発言,的,目,着想,社会,私,秩序,稲作,空気,立場,管理,経験,結果,維持,考え,背,自分,自己,自身,行為,衝突,表現,観,評価,課題,論,論理,諸島,責任,農耕,進化,違い,鎖国,関係,隔離,面,頻繁,
■経験語彙 51種 70個 (種類率73%) 95点
こなす,しまう,せる,そろえる,て思う,できる,と思う,と考える,に思う,は思う,は考える,られる,れる,乱す,保つ,出る,出会う,合わせる,向かう,向き合う,向ける,問う,埋もれる,導く,強く思う,強める,形づくる,得る,感じる,打つ,持つ,控える,支える,求める,浮く,異なる,知る,続ける,育つ,見える,言い換える,読む,読める,貫く,述べる,進む,遂げる,違う,避ける,重んじる,限る,
■総合点 100点
■均衡点 6点
出る杭は
高2 わてひ(watehi)
2026年2月3日
著者は、夏目漱石の『坊っちゃん』を手がかりに、日本における「個人」と「世間」の関係を論じている。坊ちゃん作中で坊っちゃんは正直で純粋な態度を貫こうとするが、学校という「世間」の中ではそれが通用せず、むしろ嘲笑の対象になる。読者は坊っちゃんに共感しながらも、実際には自分が赤シャツの側、すなわち世間に同調する側にいることを薄々感じているのではないか、示唆する。また、明治以降「社会」という欧米由来の概念が導入されたものの、日本ではその前提となる「個人」が十分に確立していなかったため、言葉だけが独り歩きし、現実との間に乖離が生まれたのではないかと述べている。私は、この指摘は今でも当てはまるのではないかと思う。日本人には個人主義が十分に根づいておらず、世間に流されやすい面があることが問題なのではないだろうか、と感じるのである。
その原因の第一として、日本が長く農耕社会であったことが、日本人の国民性を形づくったのではないかと考えられる。稲作は水の管理や作業の時期をそろえる必要があり、共同体の協調が不可欠だったはずである。周囲と歩調を合わせることが生存の条件であった社会では、個人の独自性よりも和が重んじられたのではないかと思われる。私のクラスでも、みんなと同じペースで課題をこなし、空気を乱さない人は「協調的だ」と評価される傾向があるように思う。一方で、一人だけ自分のやり方を貫こうとする人は、どこか浮いた存在として敬遠されがちではないかと感じる。私自身もこの前、グループ活動で少し違う意見を言おうとしたとき、「空気を読めていないのではないか」と思われるのではないかと不安になり、発言を控えてしまった。あのとき、私は自分の考えよりも世間の目を優先してしまったのではないか、と今になって思うのである。
第二の原因として、日本が島国であり、異質な文化との接触が比較的少なかったことも関係しているのではないかと思う。異なる価値観と頻繁に出会う社会では、自分の立場や意見をはっきりさせなければならない場面が多いだろう。しかし、同質性の高い社会では、あえて自分を強く主張しなくても、暗黙の了解の中で物事が進んでいく。ダーウィンが進化論の着想を得たガラパゴス諸島では、島々が急な潮流によって隔離されていたため、島ごとに独自の進化を遂げた生物が生息していたという。外部との交流が限られた環境では、内部で独特の形が固定化されやすいのではないかと思われる。日本社会もまた、長い鎖国の歴史や地理的条件によって、独自の「世間」の論理を強めてきたのではないだろうか。その結果、外部に向かって理性的に自己を主張する「個人」よりも、世間との関係の中で曖昧に自己を保つ存在が育ってきたのではないか、と私は考える。
確かに、日本人の世間志向は、社会の安定を支えてきた面もあるだろう。互いに空気を読み、衝突を避ける姿勢は、秩序を維持するうえで有効だったに違いない。しかし、これからの国際化した社会においては、それだけでは不十分なのではないかと思う。異なる文化や価値観と向き合う中で、自分の意見を持ち、それを理性的に表現できる個人であることが求められるのではないだろうか。個人の意見を主張することは、社会に背を向けることではないと私は思う。むしろ、それは社会をよりよい方向へ導くための責任ある行為ではないかと感じる。「出る杭は打たれる」ということわざがあるが、私はむしろ「打たれる杭こそが、地面の硬さを知る」と言い換えたい。意見を述べ、摩擦を経験する中でこそ、社会の本当の姿が見えてくるのではないだろうか。世間に埋もれるのではなく、世間の中で自分の位置を問い続けることこそが、これからの日本人に必要な姿勢なのではないか、と私は強く思うのである。