時代の価値観

   中2 すみひな(sumihina)  2026年2月2日

 皆さんは「成績を上げたい」と思ったことがあるだろうか。これは勉強などの努力の交換価値として、手に入れたいものだ。また、「いい場所に住みたい」と思うのはお金の交換価値として得たいからそういう考えになる。もちろん私も、このようなことを考えないわけがないのだが、昔はどうなっていたのだろうかと不思議に思うことがある。歴史の教科書に載っていた「見返り美人図」などのモデルたちは目が細く、ふっくらした顔立ちをしていた。このような人が、江戸時代などでは美人とされていたのだ。それぞれの時代によって価値観はかわっていく。普通、これらは時代やそれを作っていく人たちの年齢、好みなどによって変わっていくものだ。

私は、そのような流れの中でも、自分だけの価値観を持つことは大切だと思う。私が小学生だったころ、数学の授業でクラスの中で一人だけ違う答えを出したことがあった。その時、私は自分の解答にそこそこの自信があった。しかし、みんなが静まり返っている中で一人だけぽつんと手を挙げている状況にプレッシャーを感じ、間違っているかもしれないという気持ちがどんどん大きくなっていったのを覚えている。結局、みんなからは絶対違うだろうという反対の目で見られたが、正しい答えだったのは私だけだった。私が間違っている時ももちろんある。しかし、それでも自分の意見を発表することで皆が私の考えを知ることはできるはずだ。

 

だからと言って、自分自身の価値観に縛られすぎたり自信がありすぎたりすると、居場所がせまくなってしまう。たまには周りに流されてみることも大切なのではないか。もし、昔話の桃太郎が、宝石を渡しても家来は一人もついてことだろう。価値とは単に「モノそのもの」ではなく、「その時代・その社会で共有されているモノ」だということだ。また、アマゾンの奥地に暮らしている部族は、一人だけが高価なネックレスなどのとても価値があるものをもらっても何の意味もなく、放っておかれる代物になってしまうらしい。逆に、ビー玉などの部落全員が知っているものを与えると喜んで受け取り、皆に自慢するらしい。つまり、周囲の人たちと価値が同じのものでないと、自分が持っていても意味がないのだ。

 確かに、自分だけの価値観を持つことも、周りに流されてみることにも面白さがあるだろう。しかし、一番大切なのは、自分で自分の芯を作り上げていく過程だと私は思う。自分の中で芯がなければ、周りから頼りないやつとして見られ、信用が落ちていくのではないだろうか。日本人として生まれた以上、日本人や日本社会が持つ価値観をもとにしてこれからの時代に適応していかなければいけない。しかし、その中でもどんな知識を持っているか、何が得意か、何をしたいのかが個性として重要視される社会が今の時代だ。芯を作る環境や自分がどうなりたいかなどによって芯の太さは変わってくる。私は将来どうなりたいなどとは考えてみたこともないが、自分の意見を柔軟に持つことを意識していきたい。