目的への手段
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年月日
私は実物の縄文土器を見たことがある。家族と美術館に行った際に展示されていたものだ。一緒に並べられていた弥生土器とは違い、模様やうねりが大きく、分厚かったのだがその分、躍動感のような動きが感じられ、とても感動した。だが同時に、これらは日本的な文化の持つ繊細さや洗練さとは真逆なものだなとも思った。弥生土器がうすくなったのは火が通りやすく、固く焼きあがるからだと本で読んだことがある。これには納得できるが、なぜ模様までもがなくなってしまったのだろう?縄文土器がつくられなくなったことで、日本ならではの文化がまたひとつ失われてしまったのではないだろうか?現代でも、西欧文化が大きく広まっている。例えば、パンを好んで食べるなど食生活を真似したり、和室を作らないなどの間取りを同じにしたりしている。しかし、もともとの生命に直結したような原始文化と西欧文化とのバランスをとって進んだ方がより良い発展につながるのではないだろうか。
そのために大切したほうがいいと思うのは、周囲の意見を取り入れることだと私は思う。例を挙げると、私が所属している委員会ではある特定の人物がどんどん意見を出し、それらを中心にして活動計画や目標が決まっていくことが多々ある。ある時、その人があまりにも主旨と違う案を出したので、私が「こうしたらいいと思う」という改善案をだしたところ、あっさりと取り入れられ、それが計画に採用されたことがある。だから私は、意見を周りに伝えることが大切だと考える。
しかし、原始文化のように、周りに惑わされることなくまっすぐな意見を持つことも大切だ。昔話でも、桃太郎は鬼が悪いことをしているといううわさを聞き、鬼退治に行くと言い出したが、おばあさんとおじいさんは猛反対していた。心配したゆえのことだったが、結局、桃太郎はその反対を押し切って鬼を退治し、村人たちを救ったことで村の平和や名声、そして信頼できる仲間を得ることができたのだ。桃太郎のように、危険だったり、とても勇気がいることだったりしてもそれらをやり遂げれば代償として手に入るものがなにかしらあるのではないだろうか。
確かに、周囲の意見を取り入れて自分の意見を柔軟に持つことも、周りに影響されない一貫した考えを持つことも大切だ。しかし、一番大切なのはどのような方法であれ、目的を達成したかどうかだと私は思う。実は、この言葉は私の読んでいる本「アメリカン・スナイパー」から引用したものだ。何らかの目的があり、たとえそれがとても難しいことだったとしても、「どんな方法をもってでもやり遂げる」ことが大切なのだ。もちろん悪い手段を使うのはしてはいけないことだ。しかし、その目的が独りよがりの物ではないなら、手段を問わず行動に移すべきだと私は思う。まだ、そのような大きな目的を持ったことはないが、もし作るのだとしたら皆のためになるようなことにしたい。