外見と中身

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 ヨーロッパにおけるリンゴの栽培は創世記にまで遡り、4000年を超える歴史を持っている。それに対し日本の場合は病気の見舞いの贅沢品をして出発し、生食用一本で、ひたすら外観重視の高級化の道を歩いてきた。美しくなければ買わない消費者が悪い、外観重視で値段を叩く流通機構に問題がある、不味くなるのを承知でやっている生産者が悪い。意見は様々だがはっきりしているのは、この奇妙な日本人の美意識にはいささかの軌道修正が必要であることだ。

私も果物で食わず嫌いをしてしまうことが多い。りんごは食べる時に時間が経って茶色くなったものを無意識に皿の恥へ追いやりがちである。リンゴが茶色くなるのは果肉に含まれるポリフェノールが空気に触れ、酸素の働きによって「酸化」する「褐変」という現象。味はほとんど変わらない。その上、この褐変には対抗策があって塩水やレモン水、砂糖水などで湿ら瀬ておくと変色が遅くなるのだ。リンゴ以外でもみかんやバナナなども傷が少しでもついていると食が進まない。なんとなく食べる時に意識してしまう。味は同じなのにそれよりも見た目をとってしまう。なんなら見た目が良ければ味が少しくらい悪くてもきっと気づかない。それには人間の感覚の8割が視覚だからなのか。それとも日本人の美意識の問題なのか。

私はスーパーで不揃い野菜のコーナーをよく見る。一つ一つの野菜が全部同じような形なわけないのに「規格外」という区切りはおかしいのではないだろうか。少しだけ傷がついた。少し斜めに育ってしまった。野菜たちがビニールに入れられて並べられる棚にあるにんじんと食べられるのに不揃い野菜と言われて安く売られるにんじん。不揃い野菜はとてもエコで食品ロスをなくす取り組みだと思うが、不揃い野菜は普通の野菜として振り分けてもいいと思う。なぜならたべられるから。外見が少し違っても中身は同じだ。

他にも授業中にとるノートでも同じことが言える。蛍光ペンや色鉛筆を駆使したり、字をとても綺麗に書いて「ノート綺麗に撮れたな」と満足した経験はあるだろうか。私はある。ほぼ図工の授業のように絵を描くのと同じ感覚で頭には入っていないのだがノートを綺麗に描いたことで満足してしまった。先ほど書いた不揃い野菜とは別の「外見」だが綺麗だけど、中身が入ってない。これでは意味がない。たまに勉強方法の本を読むとたくさんの人が「色はできるだけ絞った方がいい」と書いている。色が多いとノートをカラフルに仕上げようとしてしまうからだそうだ。ノートはメモのためにあるのであって飾りではない。

人間にとって大切なのは中身である。見かけの豪華さや地味さよりも中身の充実度の方が重要である。外見は飾りであって人間と同じように服ではなく心が一番大切だからで。人は見かけによらず。私も外見だけで差別することがないようにしたい。