愛情を持って躾を
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人間が本質的な問題に気づき、正しい判断力を持って成長していくためには、色々な物が必要になる。中でも、家族での人間的な感情に満ちた躾が大切だ。親は、最初は子供が泣こうが叫ぼうが、関係なく躾ける。こうして、我慢することや、自分の立場を躾として覚えていく。その小さな出来事の積み重ねで、将来の判断力の一端が育つ。それを育てることが家庭中の本当の愛情と言える。そして、人間形成の面では、人間的な愛情が大切になっている。経済的に貧しくても、温かい家族的な愛情のある家は幸福だ。そこから、いい人間性が育つ。このことから、子どもの成長には、躾と愛情が大切だ。そう考える理由は二つある。
その理由は第一に、両親が躾をしっかりしていないと、その親の子供が周りから変な目で見られるからだ。変な目で見られてしまうと、人間関係がうまくいかなくなるかもしれないのだ。稀に電車の中ではしゃいでいる子供を見かけるが、そういう子を見ていて思うことがある。まず、具体的にどのようなことを子供がしているかというと、吊り革にぶら下がったり、ロングシート(電車の椅子)に靴のまま乗ってトランポリンのように跳ねたりして、はしゃいでいるのである。しかし、そのような非常識的な行動をとっている子供がいるのにも関わらず、親は知らんぷり、もしくは少し気にしながらスマホを触ったり、ぼーっとしてよそ見をしているだけなのである。そして、注意する気は一切ないのだ。しかし、ここで注意をして子供を躾けるのが親の役目なのではないのか。他にも、飲食店で親や恋人などと食事に来ている人の中にも、前述したような人をよく見かける。具体的には、履いているスニーカーやサンダルを脱いで、椅子に足を乗せたり、立てたり、あぐらをかいたりと、周りから見てあまりいい印象を持たれないような行動をとっている。皆さんは、このような体験をしたことがある、もしくは見たことがあるだろうか。実際、僕も両親から躾として社会で生きていく上で恥ずかしくないような行動をとるように教わった。だが、僕がそのような人の行動を悪く言いたいわけではないのは知っていてほしい。これも、電車内の子供と同様に、親や恋人はそれを知ったふりをして、注意はしないのである。だからこそ、なかなか改善せずに周りからはいい人に思えず、あまりいい関係性が作れない可能性がある。この2つの行為は常識的とは言いずらい。このような人を、世間知らずなどという。世間知らずは、実社会の経験が乏しく、一般的マナー、人間関係、常識、世渡りの道に疎い人である。果たして本当の愛情とは、このような人たちに非を気づかせずに、自由にさせて、ただ見守るのが本当に愛情なのだろうか。もう一度考え直してみたい物だ。要するに、当たり前のことは当たり前にできる、そうような人になるために親はしっかりと子を躾けるのだ。
そしてその理由は第二に、早い段階でしっかりと躾けることで生活習慣の基礎が固まる。なぜなら、特に幼少期は、脳が新しい情報を取り込み、神経回路をつなぎ替える能力(可塑性)が非常に高いからだ。KIDSNA STYLEのデータによると、3歳から4歳の間は自己主張が強くなる一方、理解力も増し、生活習慣のイソを厳しく教え始める時期とされている。4歳から5歳では言葉でルールが理解できるようになるため、「ダメ」の一言や論理的な説明で自制心が育ち始める時期だ。そして、多くの家庭でこの頃から、理不尽な叱責から「道理を教える」スタイルに移行する傾向がある。最後に、小学校入学前後では外で過ごす時間が多くなり、家庭内での強制的なしつけは徐々に減少・落ち着いていく傾向にある。このような結果から、やはり年齢が低い方がしっかりと躾けられているとわかる。実際僕も、3から5歳くらいにたくさん怒られて、色々なことを学んだ思い出がある。つまり、幼い頃からの躾は必要である。
確かに、子供には生まれながらに持っている素質や今やりたいことなどの気持ちはあるだろう、しかし、「ロバが旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない」という名言があるが、親の愛情と躾によって、いわゆる「世間知らず」とは違い、当たり前のことは当たり前にできるのは親のおかげでもあるのである。すなわち、親からの愛情ある躾は大切だ。