習慣の躾

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 子どものある時期から、仲間内でむちゃくちゃやっていると、みんなから嫌われることを悟る。躾の厳しい家庭では親が子供に就寝時間がきたから部屋に帰って寝なさいなどと規律を教えるためにそういうことをする。親は可愛いからといってわがままにさせない。それは一つの愛だと思う。子供が本能や感情で動くときに、早くから親が子どもの時間を躾として教える。最初は叫んだり、わめこうとしたりしても許してもらえない。こうして我慢と自分の立場を自覚する。そのような日常生活を通じて覚えていく。昔の親も愛情を持ちながら厳しく躾をした。経済的に貧しくても温かい家族的な愛情がある家は幸福である。そこから良い人間、人物が出てくる。愛情のある親からの躾は大切だ。

 第一の理由は、子供は親からの愛情ある根気強い躾によって善悪を判断する力を身につけるからだ。私は小さい頃から母に「自分が出したものは元の位置に片づけなさい」と言われてきた。いつも、「また後で遊ぶから」や「また後で使うから」などと言って反発しながらも渋々片づけていた。小さい頃はどうして、すぐ後で使うものを片づけないといけないのか、疑問を抱いていたが、今はその答えが分かる。それは、取り出したいもの、必要なものの場所が分かるからだ。小さい頃からこのように嫌々片づけていたものが今になっては当然の行動、習慣になっている。そのため、学校に必要な教科書、ノート、文房具、その他の道具の場所が一目で分かるように整理できている。例えば、小さい頃に読んでいた本から、今読んでいる本の配架順もすべて覚えているほどだ。母の躾により、私は学校の忘れ物は友達よりはるかに少ない。母の躾に感謝である。

 

 第二の理由は、親からの愛情を受けなかった子どもは、他人にも愛情を与えることが出来ないからだ。友達と他人との会話の違いは話し方にある。友達にはため口、他人には敬語。ため口と敬語は真逆の使い方である。ため口は「○○じゃないの」などで、敬語は「○○ではないでしょうか。」などである。敬語は必要だと思いますか?(東海大学新聞)には、必要64%、ある程度必要34%、あまり必要だと思わない1%、必要だと思わない1%という結果になっている。必要と答えた人の理由には、大人としての最低限のマナーだから、上下関係をはっきりさせられるという意見が数多く挙がっていた。あくまで私の考えだが、大人のマナーとは主に会社のことだと思う。会社とプライベートは違うというものが現代のルールである。そのため、プライベートでなじみがある人には、敬語は必要ではないのである。このことからなじみのある友人、知人などに敬語を使う人は少ない。

 

 確かに、子供にはそれぞれ生まれながらに持っている素質というものもあるだろう。しかし、ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではない、という言葉があるように親の愛情がある躾を受けた子供は、立派な人間となる。私の体験と同様、家庭の中で小さい頃から優しいだけでなく厳しさもあわせ持った教育が子どもを成長させる。そして、それが自分に善をもたらす。また、良い習慣ともなる。これからもこの私だけに教えられた親からの躾は親の愛情と心に留め、生活していきたい思う。