未来の価値観について考える(清書)
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文化もパーソナリティも、多くの場合すこしずつ変化し、そしてときには大きく急速に変化しうるものである。文化のコードは長年の間にひとりひとりの人間の安全と満足をもとめる欲望があつまって、暗黙の合意のうちにつくりあげられてきたと考えられがちだ。しかし、これは自然の成り行きであったのだ。そして、文化のコードというこの無名の支配者は、朝から晩まで私たちひとりひとりの全存在を直接・間接に支配しつづけているのだ。ほかならぬこの私自身が欲していると思うことも、それは幻想であるにすぎない。私たちの支配者は過去の時代のように名前を持った権力者ではない。私たちの欲望は、今の時代の価値観に左右されている。大自然の中でも、その価値観から逃れることはできないのだ。
確かに、自分自身の価値観に従って生きることは大切だ。なぜなら、それは幸福感、充実感、そして自信を持って自分らしく生きることができるからだ。私は、周りに流されやすい人間だ。だいたいの時には周りの意見に従っている。しかし、周りの意見に従って後悔をしたことがある。小学生の時、クラスで文化祭の出し物決めをしていた。そのとき、大半の人がおばけ屋敷にしたい、と言っていた。しかし、私と、少数派の人は射的の方が楽しいと思っていた。だが、私が多数派のほうに移動してしまったせいで、ステージがお化け屋敷になってしまったのだ。結局、お化け屋敷は退屈だった。もし、私が少数派で意見を出していたら、多数派の意見が変化し、演目が射的になっていたら、もっと充実した時間になっていたのかもしれないのだ。このようにありのまま生きることは大事なのだ。
一方、他人の価値観に合わせて生きることも大切だ。なぜなら、それは安心感や調和をもたらすからだ。グリム童話の小人の靴屋では、老夫婦が小人に靴を作るのを任せた。仕事を小人に一任したおかげで、店は成功し、売り上げが増したのだ。私は、前述のとおり、周りに流されやすい。ここでは、他人に任せたことで、喜ばしい思い出が生まれたことがあるので、それを紹介したい。中学校で校外学習の班を決める時のことだ。私たちのクラスは班作りを先生に託した。先生は班を適当に作ったのだが、それが私たちのクラスにはぴったりだった。私の班では友達があまりいなかったが、新しい友達を作れて、最高の思い出になったのだ。このように、他人軸で生きることは大事なのだ。
確かに、自分自身の価値観に従って生きること、他人の価値観に合わせて生きること、どちらも大切だ。しかし、「未来を予測する最良の方法は、それを創り出すことだ」という計算機学者のアラン・ケイの言葉もあるように、一番大切なことは未来の信念について考えることだ。今の信条を大事にすることももちろん必要だ。しかし、それだけでは、未来の価値観についていけない。そのため、常に今後の価値観について考えながら生活しなければならない。私もこれからは将来の信条について思い見ながら、過ごしていきたい。