時代の潮流

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 都市部の小学校ではかつての中学校のように授業が成立していない。かつての中学校と違うのは教師への反抗ではなく教師への無視であることだ。数少ない他者への気配りも、頻繁にすれ違いが起こっている。さらに、ものとの出会いの経験も著しく貧困である。自然と連なるものの世界はますます子供の生活から消滅しつつある。ものと出会い、ものを道具によって操作する体験や文化が欠落しているのである。私は時代に合わせた考え方をするべきだと思う。

 第一の方法は、広い視野を持つことだ。近年は他者との交わりが希薄になっているというのがよく言われている。確かに近所やクラスといった狭い範囲、限られたコミュニティの内部ではその傾向がある。しかし、より広く、都道府県単位、国家単位、世界全体を視野に入れた時に、人々の交流はむしろより活発になっているというのが適当だろう。遠くに引っ越した友達とリアルタイムでの会話ができたり、実際にその場に集まらなくてもセミナーやミーティングを開催できたりする。さらに、SNSによって顔も実名も知らないような人とも意見交換ができたり、ネットから発展する縁というのもある。つまり、一歩引いた視点から見れば人々の他者との関わりは全く衰えてはいない。こういった例にように、さまざまな情報やメディアに日常的に接し、広い視野を獲得する材料を拾う事を常に心がけることは日々変化する世に柔軟に対応するために大切だ。

 第二の方法は思考力を鍛える事だ。学校で、知識を詰め込むよりも書く力や表現する力といった思考力を鍛える教育が重視されてきているのは良い事だと思う。つまり知識は結局のところ知っているか知っていないかで完結してしまうが、思考力は情報化や異なった文化の価値観の接触が進み、自分の考えを持つことが要求される状況では実際のところかなり重要な力である。例えば江戸時代の農民は日々年貢と自家の食い扶持を耕し、村や藩など共同体の方針に従っていれば良かった。しかし、現代では、良くも悪くも人生のとれる選択肢が広がったことで個人単位で考えて行動することが必要になっている。そこでは、自身で判断材料をまとめて思考し、そして具現化する力が必要だ。私も、将来の生き方の選択肢が多い分、自分が本当はどのような事に挑戦し、成し遂げていきたいのかを掴みかねている。大学受験も刻一刻と心理的な圧となって迫り、光陰雷雲の如しだ。

 確かに変化の捉え方は置かれた状況やその性質によって異なる。もちろん良い変化もあれば悪い変化もある。例えばリーマンショックやコロナウイルスの感染拡大はグローバル化がもたらした悪影響だろう。しかし現実問題変化し続ける軸のもとに世界は回っていく以上、その現状に即した生き方をするのは大切だ。製造業が中心だった時代にはいかに規格化された製品を効率よく大量抜く生産できるかという課題が与えれた時代であり、この点では社会主義と資本主義とでは大差がなかった。しかし、時代が変化し、いかに消費者の欲望に寄り添うかという、生産の場から消費の場への転換が起きた。そして中国ではその時期に計画経済の限界から市場経済の導入という抜本的な変革を進め、今では世界有数の経済大国となることができた。時代の潮流を見極め、歩む道を自分で選んでいく力が大切となっている。