後始末は忘れずに
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昔から人はいつでも量の不足に悩んできた。「食料さえ潤沢にあれば、人間は幸福になれる。」このような物質主義的な考え方は、私たちが豊かになるにつれて拡大解釈され、広い家・大きい車・世界に一つしかない絵画などの私たちの欲の根源となった。そして、それを作る技術というものが自然から便益を引き出す方法である以上、技術にはもっと多くという量の要請が最初からつきまとっていた。核兵器は量という点だけで異常に肥大した怪物である。私たちはそれを制御することを怠っていたため、いまやもう手に追えない状況となっている。量を重視する物質的主義な考えばかりがはびこって、「制御と管理」が行われないのは問題である。
第一の原因として、効率的に「量」を増やすことは、一番初めに結果として出る努力だからだ。
勉強でもスポーツであっても、成績順位やタイムといった、数値化ができるいわゆる「量」というものは評価されやすい。そのような環境にいる多くの学生が勘違いしているのが、定期テストの意義だ。点数さえとって、よい成績を取れば良い。いわばいかに効率よく高得点をとるかのゲームになってしまっているのではないかと危惧する。確かに定期テストは模試や入試と異なり、比較的小規模な範囲が提示され、ただ単語を覚えるだけで点数が取れるものも多いだろう。しかし、それでは模試や入試、最終的には生きていく上での自分の糧にならない。定期テストとはあくまで自分の能力を伸ばす道のりの中継地点なだけである。復習が大切とよく言われるのも頷ける。自分の苦手分野を知り、克服するための計画を立てる。これは先ほど述べた「制御と管理」というものである。
第二の原因として、歴史的に今まで、量だけを重視してでてきた弊害を反省していなかったからだ。世界は大航海時代から始まり、産業革命が起き、日本では富国強兵という政策がとられ、そして高度経済成長期へと転換していった。富の「量」、生産の「量」、国力の「量」、経済成長の「量」。時代が進むにつれて「量で測る価値観」が強化されてきた。大航海時代は、まさに「地球は無限」という前提であったようである。そもそも地球が球体かどうかも確かでない時代なので当たり前といえば当たり前だ。しかしその後、工場が急増した日本では、四日市ぜんそくやイタイイタイ病など公害病が発生し、量の拡大が人間の健康にも直結する段階となってしまった。だが人間は懲りなかったのである。戦争においては。兵士や兵器の数、そして破壊力。これらの「量」を競い合い、最終的には核兵器という怪物が生み出されたというわけである。自然界は常に均衡を保とうとし、許容量を超えれば歪みが生じる。しかし人間社会は、量の拡大を発展と信じ続けてきたのだった。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉がある。量の追求もまた、度を越せば発展ではなく破壊へと転じるのだ。
確かに、私たちの価値観は物質主義にとって成り立っており、私たちの楽しみを形作っている。しかし、その価値観が「量」を増やすことだけを良しとする方向へ進んでしまえば、社会に本来必要な制御や管理の視点は薄れてしまう。本当の発展とは、効率ではなく、均衡である。量を重視する物質的な考え方ばかりが広がり、「制御と管理」が十分に行われなくなっている現状は、改めて見つめ直すべき問題である。