狂気が持つ意味
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「狂気」とは、自覚を持たない人間、あるいはこの自覚を忘れた人間の精神状態のことである。「狂気」なしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もおられます。しかし、私はそうは思いません。
人間は狂気というものが必要だと思う。第一に狂気と呼べるような意志がないと何かを成し遂げることができないからだ。私は小学生の時、よく縄跳びをしていた。たいていの技は跳べたがハヤブサという技だけは跳ぶことができなかった。ハヤブサというのは二十跳びとあやとびを交互にやる技のことだ。最初は、何日かやっていればできるだろうと思いながら練習していた。しかし、何日やってもなかなか上達せず、一回しかできないという日が続いた。一週間たってようやくコツがつかめてきたがなかなかうまく跳ぶことができない。一週間やってもできないのだからあきらめようと思ったが、兄がハヤブサを三十回も跳んでいるのを見てやはり私も跳べるようになりたいという狂気的な意志が芽生えた。そこからは、前よりも練習量を増やし兄にコツを聞いて一生懸命練習した。二、三か月たったころようやく二回目が跳べるようになった。そして、そこからは波に乗り三回、四回、五回と記録を伸ばしていくことができた。私が今ハヤブサを跳ぶことができるのはその時の狂気的な意志があったからだ。だから、ときには狂気的な意志を持つことも大切だと思う。
第二に狂気と呼べるほどの野望がないと新たな発展がないからだ。日本の三大武将といわれて真っ先に頭に浮かんでくる織田信長、この人は天下統一を成し遂げる一歩手前でなくなってしまった人だ。歴史に詳しくない人は天下統一の一歩手前でなくなったということはその人が存在する意味があったのかと思うかもしれない。だが、そうではない。織田信長がいなければ豊臣秀吉、ましてや徳川家康が天下をとることなどできなかったのだ。信長の天下を絶対にとってやるという野望があったからこそ、躊躇なく人を切り捨て敵から土地を奪い勢力を拡大していくことができたのだ。信長が実際にしたことで豊臣秀吉や徳川家康の時代にバトンタッチできたことは具体的に三つある。一つ目は、比叡山を焼き討ちにしたことで宗教勢力を無力化させたこと。二つ目は過去の権力ではなく実力で身分を決めるという政策をとったこと。三つ目は「経済」を武器にするという発想転換をしたことだ。これらは信長の野望がなければそう簡単に行うことができなかったと思う。そして信長の思いを引き継いだことで豊臣秀吉や徳川家康らが天下統一をすることができたのだ。狂気的な野望を持つことは人類の発展にもつながる。
確かにゾンビたばこを吸って狂気的になり、他の人に悪影響がでるほど狂気的になってしまうのはよくないことかもしれない。しかし、偉大な天才は狂気と無縁でいられないというアリストテレスの名言があるように何かを成し遂げたり、人類が発展したりするためには人間には狂気というものが必要だと思う。