外で遊ぶ大切さ、学校で習う大切さ
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学童の遊びには多くの創造力や抽象思考力が入ってくるから極めて多彩なものになる。例えば、小学校一年生の男の子は学校から帰ると、必ずどちらかの家に行き、庭に大きなミカン箱を引きずり出し、めいめい一つの箱にはいって、自分たちはこの船の船長なんだぞと言い合い、荒れる海を航海するつもりになって盛んに体をゆすりはこをガタガタさせる遊びを発明した。いずれにせよ、同じ心の世界に遊んだ者同士としてこうした幼い時の記憶は一生忘れられなくなる。
一つ目の意見は、子供時代の遊びから得られる知識は大切だ。例えば、近所の子と交流ができたり、外で走ったりすることでストレス発散や、健康的になる。僕は、幼稚園のころから友達と遊んでおり、親に遅くまで待ってもらってずっと遊んでいたり、小学校一年生からは、門限が六時半だったのに楽しすぎて七時まで遊んで親が車で迎えにいたことが多々あった。特に面白かった遊びはポコペンだ。ポコペンとは、かくれんぼと鬼ごっこを混ぜたような遊びで、最初は、時計の柱などの太い柱を目印にして逃げる側は隠れる。そして、鬼は隠れる側を見つけるのだが、見えたら最初の目印の柱に向かって「~名前ポコペン」という。先に鬼に柱をタッチされたら捕まってしまうが、逃げる側は鬼よりも早く目印の柱に行って「鬼ポコペン」といえばつかまっている人が全員釈放され、もう一度隠れるところから始まる。4人か5人がベストなにんずうで、人数が多すぎると鬼がしんどいし、少なすぎても逃げがしんどいという面白い遊びだ。僕の家の近くの公園は、大きな公園だったため面白かった。でもそれをするためにはまず小さいころからあそび、友達となか良くなることが大切だ。りゆうは、友達がいなかったら遊んでもあまり楽しくないし、一人で外で遊ぶのは厳しいからだ。
二つ目の意見は、学校での勉強で身につくことも大切だ。そもそも学校で生活することで、ことのよし悪しがわかるし、道徳で人との接し方や、現国で漢字や日本語の勉強ができる。ただ、なぜ数学はずっと主教科になっているのかがわからない。大人になったら使わないと長い間いわれ続けているのならやる意味がないと思った。数学は論理的思考を高めると書かれていたけど、本を読んで、作文を書いていたらできると思った。昔話の三年寝太郎のように、いつもあわただしく学校に行ったり遊んだりするのではなく、ゆっくりと目標に向かって進めば、どんな大きな問題に直面しても考えれば解決できると思った。
確かに、小さいころから遊ぶ知識も、学校の勉強で身につく知識もどちらも大切だ。しかし、「出来上がった規則を何とか守ろうとするのではなく、その規則を臨機応変に変えていくことが大切だ。」という名言があるように、学校の知識を使うときと、外で遊んだ時の知識のどちらを使うのをその時その時で変えていくことが大切だ。