学ぶこと

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  欧米書に対する社会一般の堅薄な好奇心を統制して大秘言葉ないしは東洋語の尊重を自覚させるにはどうしたらいいか。その基礎がひろく日本精神の鼓吹にあることはいうまでもない。学童のあそびには多くの想像力や抽象思考力がはいってくるから

きわめて多彩なものになる。あそびの中で想像性がゆたかに発揮されると、創造的活動にまでつながって行く。「ごっこあそび」もその萌芽だが、構想力、表現力が発達した子どもは、たとえば「ものがたりあそび」を早くから始める。大人はなるべくこの芽をつんでしまわないように、むしろ子供の姿勢をまなぶべきだ。

 子供時代の遊びから得るものは多い。遊びは単なる娯楽ではなく、社会で生きるための基礎を育てる重要な経験である。例えば、公園での鬼ごっこやボール遊びでは、ルールを守ることや相手を思いやる気持ちが自然と身につく。また、友達同士で意見がぶつかる場面では、自分の考えを伝えたり相手の意見を受け入れたりする力も養われる。これは、将来社会に出たときに必要とされる協調性やコミュニケーション能力につながる。さらに、近年では企業が「主体性」や「課題解決力」を重視しているが、これらも遊びの中で培われる力である。例えば、子供たちが遊びのルールを自分たちで工夫したり、新しい遊び方を考えたりすることは、小さな創造活動といえる。このような経験を積み重ねることで、自ら考え行動する力が育つのである。このように、子供時代の遊びは人間関係の築き方や思考力など、社会で必要な力を育てる大切な場である。私も小学一年生ぐらいのころ人として必要なことを遊びから学ぶことができた。誰かわの中に入れてなければ声をかけたり、ブランコなどの遊具を子供ながらルールを守ったりした。今思うと大変だった。しかし、この小さな経験が今の私につながっているのだと思う。したがって、遊びの時間を単なる無駄と考えるのではなく、その価値を見直すことが重要だ。

一方、勉強しなければ身につかない力もある。特に、知識や物事を順序立てて考える力は、意識して学ぶことで育つものである。例えば、昔話の「花咲かじいさん」では、正直で心優しい行いを続けた老人が報われる。一方で、欲張りな行いをした者は失敗する。この話は善悪の大切さを教えているが、その意味を深く理解するには、道徳や社会の学習を通して考えることが必要である。私自身の体験でも、最初は文章問題が苦手で、なんとなく感覚で答えていた。しかし、先生に教わりながら解き方を順序立てて考える練習を続けるうちに、なぜその答えになるのかを説明できるようになった。その結果、テストの点数も安定して上がった。このように、遊びだけでは得られない知識や思考力は、勉強によってこそ身につく。だからこそ、遊びと同じように学ぶ時間も大切にする必要がある。

 確かに、子供時代には遊ぶことも勉強することもどちらも大切である。しかし、最も大切なのは「自分で考え、学び続ける姿勢」である。この学ぶ姿勢とは知らなかったことに出会い理解しようとするということだ。遊びの中では、ルールを工夫したり友達と関わったりしながら主体的に考える力が育つ。一方、勉強では知識を身につけ、それをもとに物事を深く理解する力が養われる。どちらも受け身ではなく、自分から取り組むことで初めて意味を持つ。例えば、同じ勉強でも「やらされる」のではなく、「なぜだろう」と疑問を持って取り組むことで理解は大きく変わる。また、遊びでもただ楽しむだけでなく、どうすればもっと面白くなるかを考えることで学びにつながる。このように、遊びと勉強のどちらか一方が大切なのではなく、それらを通して主体的に学ぼうとする姿勢こそが最も重要である。これが身につけば、将来どのような場面でも自分で考え、成長し続けることができるだろう。