関わり
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子どもたちの身体の異変は近年、いっそう顕著である。都市部の小学校の高学年では、授業が成立しない。教師への反抗はなく、教師への無視だ。無表情で沈黙した生徒が教室に置物のように座っている。これら特異な現象だけではなく、教室における身体の異変は、もっと浸透している。まず他者への無関心がある。他者への気配りがないわけではない。しかし、その気配りはすれ違っている。モノとの出会いの経験も、貧困である。商品としての「もの」が氾濫する一方で、自然と連なるモノの世界は、子どもの生活から消滅しつつある。言葉という道具においても同様の事情がある。喪失しているのは、「私はこう思う」という一人称の語りであり、「あいつがこう言っている」というゴジップが、彼らの日常生活を構成している。
周りとの関わりをもっと深めていくべきだ。
第一の方法は、家や屋内ではなく、友達と外で自然とともに遊ぶことだ。僕は今、小学校時代を振り返ってみて、改めてよく外で遊んでいてよかったなと思っている。外で遊んでいると、自然との関わりだけでなく、想像力も広がる。身の周りのものを遊び道具に変える力が知らず知らずのうちに身につくのだ。僕がよく覚えているのは、あまり良くないが、火を使っていたことだ。僕たちがよく遊んでいた近所の海には、波打ち際に木の枝や竹が打ち上げられていた。そして、地域の人で、それらを燃やして掃除してくれている人がいた。だから、僕と友達で、その焼いて残った炭になりかけの木の枝と、日光に浴びせられ続けて熱くなった竹をこすり合わせて、火を起こしていた。何か文書でそれを知ってやったわけでもなく、最初は興味本位で、「この二つ、こすり合わせたら火つかんかな。」と思ったのが始まりだった。危ないことをしていたという実感はあり、理解もしていたから、火を起こしたら、すぐに用意していた砂をかけ、水をかけて消すようにしていた。だから、火を起こした後は特に何もしていなかった。とにかく、自分たちで火を起こしたのだという事実、それ自体が、強い達成感を感じて楽しかったというのを覚えている。火を扱うという、人間にしかない生物としての本能の表れだったのかもしれない。他にも、このような体験を自然の中で遊ぶ中で得ていったからか、僕の学年の友達は、全体的にものをつくったり、自然現象を理解したりすることが得意だったように感じる。やはり、経験は将来へ直結するのだと思った。
第二の方法は、自分の中にとどまらず、新しいところへ飛び込むことだ。西遊記の玄奘三蔵は、実在した玄奘がモデルになっている。玄奘は実際に、唐の都から天竺(インド)まで旅をした人物だ。かつて出家したばかりだった玄奘は、仏教の中に矛盾を感じていたそうだ。というのも、隋末から唐初にかけて急速に広まった仏教は、その分、翻訳の質や、教義の整理が追い付かず、経典ごとに教えが食い違っていたり、同じ用語でも意味が違ったりしていたのだ。玄奘は、このままでは仏教が崩壊すると危機感を感じ、真の仏典を求め、原点である天竺へ行くことを決意した。かつては現在とは全く違い、旅といっても本当に死と隣り合わせのものだった。そんな中、約一万キロメートルもの距離を、十七年かけて主に馬と徒歩で歩き切ったのだ。僕は去年、学校の行事でお遍路に五日間行った。計八十キロメートルの道のりだ。本当にしんどかったが、それでも玄奘には遠く及ばない。虎穴に入らずんば虎子を得ずという故事成語があるが、玄奘は死の淵を歩かねば真の仏教を得られないと決意し、実行した、強い信念を持った人物だったのだと思う。
たしかに、一人で過ごし、ものごとを考える時間は自分に大きな影響を与える。しかし、自分の変化は、待ち続けても得られるものではなく、外からの、思いがけない影響を気づかぬままに受けて起こっていくものともいえる。だから、周りとの関わりをもっと深めていくべきだ。