もう一度、教室の光景へと
()
年月日
子どもたちの身体の異変は近年、いっそう顕著である。現在の子供に見られる問題として、まず他者への無関心と気配りのなさがある。自分と相手の関係を意識せずに言葉遣いを誤使用していることが多い。また、教室における身体の異変は、もっと日常的に深く浸透している。モノとの出会いの経験も、著しく貧困である。ものが氾濫する一方で、自然と連なるモノの世界は、ますます子どもの生活から消滅しつつある。つまり、モノと出会いモノを道具によって操作する体験や文化が欠落しているのである。その上、モノとの出合いの経験に乏しく道具の使い方やしよう方法が未熟である。また、言葉という道具についても活字離れが進行している。
喪失しているのは、「私はこう思う(I think)」という一人称の語りであり、「あいつがこう言っている(He said.She said.)」というゴシップが、彼らの日常世界を構成しているのである。時代の流れによって道具の仕様の未熟さが生まれるのは自然なことだ。例えば昔は木と木をを擦り合わせて日を起こしていたが現在はマッチやライターなどを使って火をつける。問題は、道具の使用が未熟になったり、他者との関わりが希薄になったりしていることそのものではなく、そのことによって、生きる実感や生きる喜びが失われているのではないかということにある。だから私たちはもっと物との関わりを持つべきだ。そのための方法は二つある。
そのためには、手作りの価値を見直すことだ。手作りは世界に一つしか存在しないとものと言っても過言ではない。なぜなら、手作りというのは作った人の気持ちがこもっていて、機械のように完璧に同じ色、大きさ、形の品を大量生産できないからだ。一つ一つの手作りのものはそれぞれのユニークさがある。これは現代の子どもに見られる問題の一つの道具のしようの未熟さを解決する方法になる。なぜなら、自分で実際にその道具を使いどう使うかを学び、何かを作るからだ。
また、学校教育では、実験や調査など、物や人との関わりを必要とする授業に、もっと力を入れていくべきだ。現在の学校の授業は先生が説明していることを自分なりにノートをとり、定期テストに向けての対策をするという方針が主流になってきている。この方針は生徒の学力をあげることが可能になってくるが同時に物や人との関わりの機会を減らしていると思う。理科の実験などは生徒たちがものとの関わりを持てる機会でもある。だから学校は生徒たちともの関わりの機会を増やすために理科のような授業にもっと力を入れていくべきだ。
確かに、今日では情報処理のセンスを身につけておくことも大切だ。しかし、情報に意味があるのは、情報そのものに価値があるからではなく、その情報が背後の実体に結びついているからである。その根底には物や人との関わりがなければならない。鵜の真似をする烏は、水に溺れる。カラスは、真似をするのではなく、実際に泳ぐ練習をするべきだったのである。