天才の勉強
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年月日
先日、毛布をたたんでいて、小さい頃にこれを体に巻いてお姫様ごっこをしたことを思い出した。今思えばレースもついていない布を巻いてドレスに見立てるとはすごい想像力だと感心してしまう。だが、それをしていて楽しかった記憶は残っているし、その見立てる力があってこそ今、作文をかけているのかもしれない、とも思う。子供の頃の遊びは、想像力はもちろん、社会のルールで大切な倫理観を身につける上で大切だ。時には大人の卑小な精神を乗り越え、新しい世界を生み出す基礎能力になることもあるだろう。大人は、子供に「これはなに?」と聞かれると「これは○○だよ」などと答えてしまいがちだ。しかし、この芽を摘まないようにするには、子供から学ぶように気遣い、すぐに答えを提示せずに考えさせるべきだと私は思う。
しかし、子供が答えを出すには勉強からしか学び取れないこともある。円周率や、理科のオームの法則などは普通に遊んでいては身につかない。これらを理解できなければ就けない仕事もあるだろうし、遊んでばかりいては社会で何をしたらいいか分からなくなってしまう。今、職業がAIにとってかわられる時代が来ると予想されている。その中で仕事をするには人がそれぞれの個性やその人にしかできない技術を活かしていくことが大切だ。きっとAIは技術を習得する方法はわかっていても、実際に行うことはできないだろう。私たちはAIに世界を征服されないよう、勉強してそのスキルを高めていくべきだと私は思う。
だからと言って、勉強だけをしていてもいけない。ウィリアム・サイディスという当時最年少の11歳でハーバード大学に入学し、8歳には複数の言語を習得したアメリカ人を皆さんは知っているだろうか。天才とよばれ注目を集めた人物だが、父親に早期教育ばかりを受けさせられていた。人との付き合い方を全く教わらないで育ったため、幼少期をとても孤独に過ごしたというエピソードが残っている。今あげたのは極端な例だが、これからは、勉強ばかりしていても就けない仕事の方が多くなっていくのではないかと私は思う。昔話の桃太郎でも、きっと学校はなく、これはしてはいけないといった明確なルールはなかったはずだ。しかしただ遊んでいるだけでも友達を傷つけてはいけないといった当たり前の知識は得られる。適度に遊び、楽しみながらでも倫理観は十分育つのだ。
確かに、勉強から学び取れることも、遊びから学び取れることもどちらも吸収するべきだ。しかし、「子どもには子どもにしかできない体験がある」というサイディスが残した名言があるように、一番大切なのは子供にしかできないことを体験しておくことだ。学べるか学べないではなく、なんでも体験することこそが最も重要な大人になるために、必要な糧だと私は思う。私はあと1年たてば受験を受けることになる。それまでに何を体験し、何を学んでいけるか考えるように努力していかなければいけない。その合間にも、遊び心を持てるような時間を作ることでより充実した時間を持つことができるのではないだろうか。(笑)