狂気

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 ブレーズ・パルカスは「患者は、キリスト教徒の自然の状態である」と言った。どこかが痛むこと、中途半端で割り切れない存在である人間が、己の有限性を染々と感る。「原罪」の意識に悩んで、常に心に痛みを感じているのがキリスト教徒の自然の姿だという訳なのだ。「狂気」とは自覚を持たない人間、あるいはこの自覚を忘れた人間の精神状態のことかもしれない。天才と狂人との差は紙一重だ。人間というのは、「狂気」なしにはいられないものであるらしい。心の中、体の中にある様々な傾向のものが常に動いていて、何か行動を起こす場合には、そのものがあたかも磁石にかかった鉄粉のように一定の方向を向く。人間は、この動いているものが静かなことが長く続くと倦怠を催したりする。「狂気」をなくしては、生活できない存在であることを悟るべきだ。私は、人間には狂気というものが必要だと思う。その理由は二つある。

 一つ目の理由は、狂気のような集中力がなければ、何かを成し遂げることはできないからだ。一つのことにかじりつくぐらいの勢いで臨んだ方が成功できるかもしれない。私は、中学生になってからバスケットボールを始めた。初心者だったため、初めのうちはたくさん練習をした。父は昔バスケをやっていた。始めたばかりの頃は、レイアップシュートもできなくて、悔しかったことを覚えている。このとき、父にレイアップシュートを徹底的に教えてもらったのだ。ドリブルからあやふやだったため、苦労した。しかし、夢中になってやっているとできるようになってきていた。それが、嬉しくてもっと練習した。この練習のおかげで、部活で先輩に「上達早いね」とほめてもらうことができた。つまり、かじりつくぐらい練習していたら、できるようになるということだ。

 二つ目の理由は、平凡だと毎日退屈になってしまうからである。何か、夢中になれるものが一つでもあると、毎日退屈せずに過ごすことができるだろう。私は、推しを拝むことにハマっている。推しの動画を見たり画像を見て「かわいいな~」と思って、元気をもらっている。学校の時でも常に考えていることが多く、思い出すだけで幸せになれる。生きがいにもなっているのだ。中高生の、夢中になれることについて調べた。その一つとして、スポーツ(部活動など)があがってくる。中学生男子は74.0%、中学生女子は49.8%の人がスポーツに夢中になっているという結果になった。さらに、高校生は一日平均6時間44分オンラインで過ごしてるとされ、そこからゲームや推し活の情報収集をしたりしているそうだ。つまり、オンラインも趣味につながるということなのだ。

 確かに、冷静に判断し行動することも大切だと思う。冷静に判断できないと危ないときもある。しかし「狂気を少し持っていろ。さもないと、恋も芸術もできない。」という名言があるように、狂気は必要なのである。狂気がないと何かに夢中になることは出来ないのである。一つのことに没頭する力も人間には必要不可欠であり、それがあるから人間は出来ていると言っても過言ではない。一つのことに費やすことは、相当のことではない限り難しいと思う。狂気があることで、人間の楽しみが増えていると思うと、狂気がすごいと改めて思った。これからは、狂気のように何か没頭できることを一生懸命にやりながら生活したいと思う。