狂気
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人間はとかく、「天使になろうとして豚になる」存在であり、しかもサボテンでもなく、亀の子どもでもない存在である。狂気とは、自覚を持たない人間、あるいは自覚を忘れた人間の精神状態のことかもしれない。天才とは、狂人との差は、紙一重だとロンブローズは申しているわけだが、天才とは狂気が持続しない狂人かもしれないし、狂人とは狂気が持続している天才かもしれない。我々が正気だとうぬぼれている生活でも、よく考えてみれば、大小の狂気の起伏の連続であり、狂気なくしては生活は展開しないこともあるということは、奇妙なことだ。要は、天使になろうとして豚になりかねない存在であることを悟り、狂気なくしては生活できぬ存在であることを悟るべきかもしれない。冷静と反省とが行動の準則とならねばならぬわけである。そして、冷静と反省とは、非行動と同一ではない。最も人間的な行動の動因となるべきものだ。常に病患を己の自然の姿と考えて進むべきである。
人間には、狂気というものが必要だ。
理由は第一に、狂気と呼べるような集中力がなければ、何かを成し遂げることはできないからだ。小学生の時に入っていたサッカーチームで、僕はキャプテンをしていた。とある日の試合、相手は地区で一番強いと言われるチームだった。前半を終えた時点で、僕たちは1点ビハインド。みんなの顔には焦りと不安が浮かんでいた。冷静に声をかけるのがキャプテンの役目だと分かっていたが、胸の奥では「絶対に負けたくない」という熱が渦巻いていた。そのため、みんなの目をじっくり見て、
「こっからだぞー」
と叫んだ。みんなものっかって叫んだ。後半戦、僕は責任感と勝ちたいという熱で頭がいっぱいだった。少し狂気にも似た集中力を、自分の力に変えようと決めた。ボールを奪われても何度も追いかけ、声がかれるまで仲間を鼓舞した。そしてゴール前の混戦で、こぼれ球に迷わず足を振り抜いた。ボールがネットを揺らした瞬間、理性より先に体が叫んでいた。僕は、いつものパフォーマンスをせずにチームメイトの方に向かって喜びを分かち合った。今回の試合でパッションで乗り切る大切さが分かった気がした。
理由は第二に、平凡な毎日では退屈してしまうからだ。小学生のころ、僕はレゴにぼっとうしていた。作り始めると時間の感覚が消え、気づけば外は真っ暗になっていることもあった。説明書どおりに作るだけでは満足できず、頭の中に浮かんだ形を再現するまで何度も壊しては組み直した。周りから見れば、同じことを繰り返す少し奇妙な姿だったかもしれない。でもその集中は、静かな狂気のようでもあり、世界に一つだけの作品を生み出す原動力でもあった。指先が痛くなってもやめられなかったあの時間が、僕の想像力を大きく育ててくれたと感じる。
確かに、冷静に状況を判断することも大切だ。しかし、「狂気なくして偉業なし。」という名言があるように、物事を達成するには、狂気が必要だと思う。