自然に対する人間の働きかけには(感)
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自然に対する人間の働きかけには二つの型がある。一つは量についてのもの、もう一つは制御と管理に関するものである。量の問題を解決してみたら、その量を制御するものが不足していることが歴然と見えてきたのである。量ばかりを追ってきたために無視されてきた制御の問題が表面化したのである。量よりも制御が重要になっているのに、いまだに量を中心に考えている社会は問題だ。
その原因としては第一に、欧米に追いつけ追い越せと言う時代が長かったことだ。戦後、大戦で勝利したアメリカや欧米の国々が世界を引っ張っていった。特に日本は、マッカーサーを中心にアメリカに占領され、日本とアメリカの関係は敵国から同盟国へと変化した。しかし、その関係はかえって功を奏し、冷戦の中でアメリカは日本をアジアの重要な味方として支援した。その結果、日本は高度経済成長を経て工業大国となった。ただ、高度経済成長は朝鮮戦争でアメリカ軍が日本の工場に大量注文したことにより生じたもので、大量生産が生み出したものである。このような欧米への追いつけ追い越せと言う文化が日本に大量生産の流れを持ち込み、制御不能なほどになってしまったのだろう。
その原因としては第二に、社会全体に、まだ量を中心にして評価する傾向があることだ。現代では、大量に生産することで原価の安さを求める企業が多い。先日、ニュースで衣服のハイブランド社が売れ残った商品を大量に燃やして廃棄していることを知った。衣服はブランドが大切であるため、売れ残ったものを安くして大量に社会に出回ると、原価で買った人が被害を被る。他にも、スーパーやコンビニでは商品を常にたくさん並べることで満足感を上げるため、売れ残った商品が大量にすてられている。その結果として、農林水産省では日本では年間約500万トン以上の食品が廃棄されているデータが出されている。これらの二つの例のように、現代社会では大量生産が主流になっており、逆に言うと大量生産をしなくては利益を出すのが難しい。ただし、企業が大量生産が社会にもたらす不利益を考えて発注料を調整するべきだろう。
確かに、世界には量に課題が残っている発展途上国も数多く存在する。しかし、最も問題を引き起こすのは、量の不足ではなく過剰である。世界的な大恐慌は大量生産などの量の過剰によって引き起こされてきた。にもかかわらず、いまだに量を重要視している社会は問題だ。