好奇心

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  学童の遊びには多くの創造力や中小思考力が入ってくるから多彩なものとなる。その発達に応じてどのようにルールを意識するか、心理学者のピアジェが観察したところによると、五歳ごろまではルールは強制されたものとは感じられず、モデルとして受け止められる。そのあと、ルールは大人が作った神聖なもので、ちょっとでもかえようとすると重大な違反、という印象を子供に与える。再集団化になると、ルールというものは皆で協定を結んで作られたものだと分かるので、外側から強制されたものとは感じない。子どもの多くが詩人的素質を示すのも、彼らの感受性が発達するからであろう。こうした面を発達させるために、国語は大切な役割を担っている。

 子供時代の遊びは、数多くの学びをもたらしてくれる。人間関係もそのうちだ。私が保育園のころ、NHKのダーウィンが来た!という番組でワオキツネザルが放映され、それ以来ワオキツネザルごっこというものが流行っていた。皆で日光浴をしたり、公園中を走り回ったり、いまとなってはどのような部分が面白かったのかわからないが、とにかく人間関係を築くうえで、他の人との共通点が重要だと知った。共通点をしることでより強いきずながむすばれやすくなる。また、童話にオオカミ少年というものがあるが、羊飼いの少年が日まで仕方なかったため、狼が来たという嘘を何回もつくことで信用されなくなるという社会の仕組みや厳しさを知ることができた。

 確かに子供時代に遊び尽くすことも大切だが、勉強をすることでしか得られないものもある。様々な知識を得ることもそうだが、私の場合は様々な事象についての理解があげられる。上海からの一時帰国中にロックダウンで戻れなくなったが、その時に一時的に入学した小学校で運よく月の満ち欠けについて学んだ。今まで、そのありさまを当たり前の、そうなって当然のものだと思い、理由など特に考えていなかったが、地球や月、太陽の位置関係について学ぶ中で論理的な形で理解することができた。このように、勉強は日常生活、たとえ遊びの中であっても、日ごろ感じていた疑問や疑問に思ってすらいなかったこと、腑に落ちなかったことも理解できるのだ。

 子どものころ、よく遊び、小学校に入ってから勉強も始まる。勉強とは好奇心を満たすという目的もあったもので、今までの疑問を解消することができる。しかし、遊びからは、勉強からでは得られないより繊細な社会の物事について知ることができる。セオドア・ルースヴェルトは「今いるところで、今持っているもので、あなたが出来ることをやりなさい。」といった。子どもでも、青年でも、壮年でも、老年でもやるべきことは、今できることを一生懸命にするということだ。子どものころにできることは特に限られている特に子どものころは好奇心が強く、興味をもちやすい。そのような子供の時でしかできないことを、遊びであっても勉強であっても全力ですべきだ。