清書
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文化もパーソナリティーも、多くの場合少しずつ変化し、そして時には大きく急速に変化しうるものである。しかし、この文化のコードから逃げ切ったと思っても、休暇の宣伝などに誘われて、文化のコードの絡め取られているのだ。
自分自身の価値観に従って生きることは大切だ。私は、学校に登校や下校するにあたって、天候には気をつけている。学校内でも気にかけているのだが、外の方が温度調節が難しい。夏には、半ズボンを履くのだが、問題は冬だ。冬の間、温度が一気に下がる。そのせいで体調管理が難しい。最近は、スカートに大きなパーカーを着るのが流行りだ。流行りの格好をしたくて、スカートを履く人が増えた。私もスカートを持っていてよく履いていた。そこで冬は寒いので、中に裏起毛のレギンスを履いた。だが、これもあまり意味がなく、風が僅かなレギンスの生地の中に入ってくるのだ。そのため、全く対策できない。次の日からは、ジーパンの中にタイツやレギンスを履くことにした。私は、これが最善だと思っていて、とても温かい。それからは、毎日そのセットで学校に行っている。まだ、学校にはスカートだけの人が複数残っている。その人たちは、寒いと嘆きながら毎日登校している。中には、風邪をひいている人もいる。自分と他の人たちと寒さや暖かさの感じ方は異なるが、私はしっかりと早期に自分自身の対策をできてよかったと思う。私は、風邪をどちらかと言うと引きやすいので、周りのことは考えず、自分が良いと思った方法をとり、結果的に成功だったなと感じた。
しかし、その時代の価値観に従って生きることも大切だ。かぐや姫のお話でもそのことが伝わる。かぐや姫は、人間界に自らの罪を償うためにやってきた。彼女は実際に、嘘をついた男の人たちを目の前にして、人間の汚い部分を感じたのだ。汚い心を持った人間がかぐや姫の美しさに惹かれて会いに来た。だが、あの出来事はかぐや姫がその時代にあった美人だったからこそだ。平安時代は,お歯黒で髪の毛が長く黒髪なのが人気だった。さらに、少し太っていて目が小さい人が美人だった。今では考えられない。だが、この条件が揃ってたからこそ、汚い心を持つ人間がそばにやってきたのだ。ある意味、この人達がいないとかぐや姫は罪を償いきれず、無事に月に帰れなかったかもしれない。ある意味、その時代の価値観にあっていたからこその出来事だったのではないだろうか。今みたいな、目のくりくりな小顔のガリガリだと、誰にも好かれず、罪を償いきれず、困ることもあったかもしれない。そう思うと、しっかりとその時代の価値観に合わせることが、自分の目的や目標を達成するのに関わってくるのだ。
自分の価値観に従うのも、周りの価値観に合わせるのも大切だ。だが、最も大切やことは、自分のことを考えて行動することだ。結局は、自分がどうしたいかによるのだ。自分自身が困ることなく、悔いなく過ごせるようにする。自分の価値観に合うものなのか、周りと同じようにしたいのかは人それぞれだ。自分が「したい」と思う価値観に合わせれば、悔いなく過ごせるだろう。嫌気がさすものに、わざわざしなくても、せっかく様々な選択肢があるからこそ、自分が良いと思った価値観が最善になり、安心することもできるのだ。自分には、合わない価値観に合わせて無理をすることよりも、自分が良いと思った方法に合わせた方がよほど楽しく、気楽であろう。「自分に正直に生きるということは最も望ましい生き方である」という名言があるように,私たちは自分の心の声を感じて生きやすい、暮らしやすい環境を自ら整えていくことで、最高の時間や生活環境を手にすることができるのだ。