昔話からの教え

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 端的に言って、私たちは、お話を文学、文学のうちでも、文字に頼らず、声によって伝達される文学と考えている。文学的に価値のある作品とは、私たちの心を楽しませ、人間についての私たちの理解を助けてくれるものと表現しよう。さて、ではそういう作品のどこに求めるうかということになるが、具体的には昔話と創作(主として子供向きの短編)ということになる。そして、語るという点から言えば、このうち、特に物語が重要になってくる。昔話の中には、単に語ることから生じた表現の形式や民衆の文学であることからくる内容の普遍性ということだけでなく、何かもっと大きな力が隠されているような気がしてならない。昔話は、たえずそこに自分をうるおしにいかなければならない泉のようなものだと思う。

 皆さんは、自分がまだ幼かった頃に、昔話に触れたことはないだろうか。例えば、寝る前に家族から読み聞かせをしてもらったり、テレビで見たなどだ。私は、母から毎晩読み聞かせをしてもらっていた。持っていた童話集の本がボロボロになるまで読み続けた。特に、母がよく読み聞かせをしてくれたのは、わらしべ長者だった。皆さんはわらしべ長者というお話を知っているだろうか。わらしべ長者の主人公、貧乏人は観音様のお告げで「最初に手にした藁を大切にせよ」と教えられた。男はその藁をアブ、ミカン、反物、馬と次々に物々交換していき、最終的に大きな屋敷や財産を手に入れて長者になるといったお話だ。わらしべ長者を毎晩のように聞いていた私は、アイデアさえあれば、どんな時でもチャンスはあるのだと思っていた。今でも、その思いは変わらず、わらしべ長者のようにどんなどん底でも、諦めずに続ければいずれ叶うと思って過ごしている。昔話には、多様な意味が込められて作られており、読んだ人はどのような行動をするのが正しいのかを教えてくれるものなのだと改めて感じた。

 しかし、私は時々思うことがある。それは、なぜこのような昔話がたくさん作られたかだ。私は、気になり本やインターネットを活用して、考えてみた。昔話の本は、仏教がきっかけだった。人間が仏様のお話を書いたようなものだった。始まった頃は約1230年前の平安時代までさかのぼるほどで、資料によると、かぐや姫などは、平安時代に作られたものだと言われている。昔話が今の形になるまでに何度も変化しながら、受け継がれてきて作られたのだ。昔話には、多様な意味が込められており、代表的な例を挙げるとすると、かさじぞうというお話だ。これは、お地蔵様を助けた主人公が、お地蔵様から恩が帰ってきたというお話だ。これは、良いことはいずれ帰ってくるという意味を持っている。昔話には子供を守りたい、道徳教育をしたい、生活の知恵を伝えたいなどといったものがお話になって伝わったものなのではないかと私は思う。昔話が多様なことを子供に授けるのではないだろうか。

 人間にとって昔話とは、まるで人生の心の教科書のようなものである。昔話にはそれぞれに対して想いが込められており、安全や勤勉、欲などといった人間の本能を正しい道へと導いてくれる特色があるのだ。作品の言葉には一つひとつ違った意味が込められている。皆さんも昔話を読んで、どのようなことが正しいかを考え直してみてはどうだろうか。転ばぬ先の杖。転ぶこと。いわゆる転ぶ前に、昔話からの天からの教えを聞くことが大切なのである。