日本人

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  道筋を飛ばして結論を出す。結論は相手の創造にゆだねてさりげない話でお茶を濁す。ありのままをくどくど述べるのは要ざめだとされる。そういう淡泊好みの通人たちが考え出した詩であり俳句であって、短いことでは世界に類が少ない大昔から確立している若の形式は日本人の感性、言語、思考を決定するほどの力を持ってきたように思われる。理屈ではなく直観に訴えようとする日本的なコミュニケーションのとり方はよいと思う。その理由は二つある。

 第一の理由は、確かに数学や理科のように理屈が通っているものはなぜそうなっているのかがわかりやすいだろう。しかし、詩や短歌のように直観に訴えてくる日本的なコミュニケーションは時に理屈より納得しやすいことがあるからだ。私は漫画を読んでいるときにそう思ったことがあった。小学校から家に帰って家の布団で漫画を読んでいた。その漫画は、逃げ上手の若君という漫画だ。どういう漫画かというと、北条時行と足利尊氏の対立を描いた物語だ。北条時行が主人公だ。北条時行が諏訪で諏訪頼重と手を組み反乱を起こし、足利直義が統治していた鎌倉に攻めてきたという話が印象に残っている。その理由は、今まででは理屈が通っていた正論が口論や話し合いの場では一番わかりやすいと思っていたが、その漫画を読んで直観に訴えてくる感情論が時に正論より納得しやすいということに気づかされたからだ。足利直義は理屈で動く人だった。北条時行は時に理屈で動くが感情で動く人だった。口論を始めた。その理由は、戦が始まる前に話し合いをしようという話になったからだ。私は最初足利直義が口論で勝者になると思ったが、感情論で場を沸かした北条時行が勝った。そのあと足利直義は戦いが始まったとき鮮やかな理屈が通っている陣を作ったが、北条時行は感情に任せてそのまま突進した。北条時行が勝った。私は理屈を通さずに感情で動いたことがこの戦いの勝敗を大きく分けたと思う。

 第二の理由は人は理屈の通ったものより直観に訴えてくるほうに人がひかれるからだ。私は逃げ上手の若君という漫画を読んでそう思った。足利直義との戦の最中だった。北条時行が押されていた。その理由は、理屈が通った鮮やかな陣形を足利直義が作ったからだ。大きな役を背負っていたのは、三浦一族の棟梁三浦時明を中心とする三浦一族だった。その三浦時明に北条時行の叔父、北条泰時が仲間にならないかと誘ったところが印象に残っている。北条泰時は「足利直義は理屈の通った楽しくない作業のような戦をしていたが、北条時行の戦は楽しい。」といった。その結果、足利直義についていたほうが確実に恩賞を得られるのに、足利忠義を裏切って北条時行側に寝返った。私は驚きもしたが、それと同時に感情に直接訴えてくる話のほうが人がひかれるのだということが分かった。

 確かに物事を理屈で考えることも必要だ。しかし、「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という名言もあるように、短い言葉を効果的に使うことが大切だと思う。だから、私は理屈ではなく直観に訴えようとする日本的なコミュニケーションの取り方はよいと思う。