昔話の役割

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 文学的に価値のある作品とは、「私たちの心を楽しませ、人間についての私たちの理解を助けてくれるもの」と表現しておく。昔話は、なんといっても本来語りつたえられてきたものなので、語って聞かせる話のそなえていなければならない基本的な条件を満たしているからだ。とり扱うテーマは、普遍的、根源的だし、昔話が、今日では、もっぱら子供のための文字になっているのはこのためだろう。

 私は、小さいころ、母にたくさん物語や絵本を読んでもらった。今、昔話や絵本を読み返すと、昔の自分が思っていたイメージとだいぶちがうということがあった。昔読んだ本を読み返すとまた違った発見が得られる。私が小さいころに読んでいた本で、「おばけのてんぷら」という絵本がある。話の中で、おばけがてんぷらにされてしまうのだが、小さいころの私にとっては、とても怖いシーンだった。今読み返してみればさほど怖くないのだが、小さいころは、おばけがとてもかわいそうで、見ていられなかった。今では、おばけを昔ほど信じなくなり、かなり怖い本でもないと、そんなに怖くなくなった。小さいころの自分に比べて、今の自分はずいぶん可愛げがなくなってしまったなと思った。

 私が小さいころに読んでいた絵本で、「赤い玉青い玉白い玉」という絵本がある。何年か後に「三枚のおふだ」という絵本を読んだのだが、この二つの絵本は非常によく似ていて、三つの玉がおふだになっているだけである。この二つの絵本には、もう一つ共通点があって、両方とも民話ということである。民話とは、民衆の生活の中から生まれ、口伝えで長年受け継がれてきた物語の総称である。まるで伝言ゲームのように口伝えで伝わって来たので、微妙に話が変わってしまうのも納得である。

調べてみると、浦島太郎伝説という物が存在するらしい。浦島太郎にまつわる地名などがあって、本当にいたかもしれないという信憑性が生まれる。昔話に信憑性を持たせることで、よりリアルに聞くことができる。昔話には、色々な教訓が詰まっているが、浦島太郎の教訓は、遊びほうけていては取り残されるという所である。浦島太郎は、竜宮城で遊びほうけていて、いざ地上に戻ると、時間に置いていかれていた。同じように、ずっと遊んでいると、周りの人や時代の流れに置いていかれるよということが伝えたいのではないか思った。

 大昔から昔話が伝えられてきたからこそ、今に伝わっている。昔話は、親から子に、子から孫にと世代を超えて語り継がれてきた。私も広く昔話を伝えていこうと思った。小さいころに昔話を読んだという人がほとんどだと思うが、人間の心は昔話から成り立っていると言っても過言ではないと思う。人間にとって昔話とは、心の土台である。どんな人でも土台なしでは心は作られない。その土台としての役目をはたすのが

昔話である。たまには難しい説明文の本を読まずに、原点に帰って、絵本を読んでみるのもいいと思った。