共同体的な

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  今日、共同体が完全につぶされたわけではない。豪族など大きな共同体はすでにつぶされてしまっているが、依然として最小単位共同体の家族は残っている。そして一方、共同体意識の方は、今も人々の間にしぶとく生き続けている。共同体の本質は感覚であるから、理屈、理論すなわち知よりも情が尊ばれる。漱石の言う「智に働けば角が立つ」わけである。共同体的な生き方がしたい。

 第一の方法として、法律よりも人間を見ること。最近スマホで見た動画で、アメリカの少年が他人を殺害し、重い罪を犯したにも関わらずヘラヘラとした態度で裁判を受けていたと言う内容だ。しかし、その後少年の顔が一変し暗くなった。その理由は裁判官が彼が予想していた罰よりも重い罰が下されたからだ。多くの刑事裁判では被告人が犯した過去の罪で罰が決まることが多い。しかし、被告人の過去の行動以外にもその人の裁判に対する態度なども罪を決定する時の判断材料の一つに入れるべきだと思う。身近な例だと「人間がつく嘘」と言うことが挙げられる。嘘には良い嘘と悪い嘘がある。その中でも今回は特に良い嘘だ。例えば、誰かが作った料理が自分の好みに合わなかったとしても、相手が作ってくれた感謝として「美味しい。」という嘘も大事かなと私は思う。嘘でも美味しいと相手に一言言うだけで、相手は気分が良くなり、「作ってよかった。」と思うだろう。もし、自分のありのままな気持ちを出してしまったら相手も気分が悪くなり、口論になってしまうかもしれない。しかし、良い嘘をだけ言い続けたら相手の料理も上達しにくくなる。だから、どのような場合に使うのかなど考えながら良い嘘を付くことが大事である。

 第二の方法として、法律を執行するとき人の人間性も必要だ。例えば、明治時代の政治家である板垣退助は、自由民権運動を進め、国民が政治に参加し、権利や自由を守られる社会を目指した。当時の日本では政府の力が強かったが、板垣退助は人々の声や人間の尊厳を大切にするべきだと考えた。また、人間性を考えるということは、ただ法律を守るだけではなく、その法律が人々の生活にどのような影響を与えるのかを考えることでもある。社会にはさまざまな立場の人が存在しており、同じ法律であっても受け取り方や影響は異なる。そのため、法律を運用する人は機械のように決められた規則だけを見るのではなく、その人の背景や状況にも目を向ける必要があると思う。人間の感情や状況を理解することによって、より公平で温かい社会をつくることができるのではないだろうかと思う。このように、法律だけでなく人間を大切にする考え方は重要だと思う。人の支配よりも法の支配の方が良いと考える人が多いと思う。私も法の支配は良い考えだと思う。しかし、十割すべて法の支配という訳ではないと思う。やはり人間の考えをそこに付け足すことも大切だ。

 確かに、法律に基づくことは大切だ。しかし、「家が批評できるのは、建築家ではなくそこに住む人である。」と言う言葉があるように、私たちはもっと共同体的な考え方をするべきだ。何事も法律だけにとらわれるのではなく、人間性も評価の一つに入れることが重要である。