相互理解のために
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年月日
日米両方に相互理解を阻む迷信が存在する。アメリカ人は刺し身を食べない、日本語を読み書きできないなど、外国人の理解を否定する態度を通して、嘆きつつ、時には優越感を覚える日本人の姿がある。ところが、アメリカの場合は対照的である。彼らは、日本人は皆アメリカの物事を知っているだろうと思い込む傾向があるのだ。確かに相方の立場に悪意は全くない。しかし、これらの「迷信」が年ごとに深まる相互理解の壁となっていることも、また事実なのだ。
確かに、自分の考えが唯一のものと捉えない視野の広さを持つことは大切だ。自分の視点のみに固執するのではなく、相手の意見も尊重することで、物事に対して柔軟に判断できるようになるからだ。私の英検での体験が、この意見に重なる。私は昨年、目標としていた英検の級に数回にわたる挑戦で合格することができた。今までは一度の試験で合格してきたが、今回は長い道のりだった。そうなった原因は私の考え方にあったと言える。私は今までこの級のレベルを軽視し、我流の勉強法を継続させていた。そのため、そのレベルに合った問題に対応できず失敗を繰り返していたのだと言える。しかし、この状況に危機を感じ、親や塾の先生の貴重なアドバイスに耳を傾けることをより意識するようになった。改めて試験に向け、今までの自分の勉強法も臨機応変に活かしながら、結果合格を掴み取ることができた。つまり、試験までのスランプも好調な時期も、多様な視点をもとに、失敗しそうになってもてこ入れし、「最適」を考えられたと言える。確かに時として誰しも自分の意見を尊重したいという気持ちはあるだろう。しかし「三人寄れば文殊の知恵」と言うように、多様な意見は心に新たな光を投じ、より冷静に物事を進めることができるのだ。
一方、他人に煩わされず、自分の世界を深く掘り下げていくことも大切だ。それは自分自身の「土台」形成に繋がるからだ。自分の「好き」を極めていくことは、個性や特技へと発展していく。私の身近にも今の時代には珍しくラジオ好きが高じ、それを対象とした研究をし、充実した学生生活を送っている友人がいる。有名な昔話、「人魚姫」でも同じである。この物語で有名なのは最終部分だが、その冒頭では人魚姫とその姉達の生活についてのエピソードが語られている。姉達は沈没船から流れてきた装飾品でそれぞれの海底の庭を飾るが、末っ子は一人異なる。彼女は周囲が関心を寄せないような「太陽のように赤い花」と、美しい大理石の像のみを自らの庭に飾り、楽しんでいたのだ。確かに他人とは違った興味の持ち方は周りに溶け込めなかったかもしれない。しかし、彼女のこの趣味の在り方が後に性格の形成や人間への興味、そして王子様を助けることに繋がっていったと言えるだろう。「世間」ばかりを気にしていると、「自分」が空になり、失われていってしまう。時にはベースとなる自分の指針や考えがあってこそ、相手や社会の中で自分を見失うことなく、生き生きと生活できるのかもしれない。
確かに、視野の広さを持つことも内側の世界も深めていくことも大切だ。しかし、最も大切なことは相互理解だと考える。「他人の靴を履いてみない限り、その人のことは決して分からない。」という言葉がある。世の中での出来事は全て自分だけで完結しているのではなく、必ず相手がいる。だからこそ、相手の考えを聞くだけで終わってしまうのでも、頑固に自分に固執するのでもなく、相手の内面を知っていこうとすることが現代の複雑な問題を解決する一歩になるのではないか。私も目の前にいる家族や友人達と向き合い、それぞれの良さや考え方を深く理解できるようになりたい。そしてその先にある、社会における一員としての役割を担っていきたい。