つたえる。かんがえる。

    ()  年月日

 日本における言論の自由は、世界でも例を見ないほど保証されている。マスコミの役割は、まず現代の世の中の出来事を客観的に伝えること、そして社会に対し危機回避の役割を果たすことである。それに加え、個人的社会的に向上するための知識や情報を提供することだ。しかし、日本の報道については、ニュースの判断基準のあいまいさが目立つ。私は、日本のマスコミに対し三つの注文をしたい。第一に、自分の意見と客観的な事実を区別すること。第二に、マスコミ人としての自覚とモラルに基づき、誰が正しいかよりも、何が正しいのかを明確にしていくこと。第三に、世の中に対し麻薬患者に注射するような行為を改め、明白な警鐘と提言を行ってほしい。

 日本のマスコミは、現代社会の現状を客観的に伝えることを徹底すべきだ。

 第一の方法は、報道やその仕組みの裏にある矛盾をなくしていくことだ。メディアの重要な役割として、命の危険に関わる情報を伝えるというのがある。例えば、何かの事故や、災害が起きたときにそれを伝え、注意喚起をすることなどだ。しかし、ここにはとても大きな矛盾が潜んでいる。それらの報道をする際、テレビでは必ずその状況が映し出される。その多くは近くにいた人によって撮影されたものだ。しかも、その動画を提供した人にはお金が支払われる。そこが大きな問題である。逃げるべき状況のときも、リスクを背負いながらも、自分の命や近くの命よりもお金を優先してしまう。これは、とても危険なことだ。人を助けるためにあるはずのメディアが今、逆に人々を危険にさらしてしまっている。また、これらはSNSにもつながるだろう。事故現場や災害の起きた現場を、いいねやハートのためだけに捉われる。自分の命や、近くの命を優先せずにだ。そのハートより自分のハートを守れ、という話である。何が大切で何は後回しにすべきなのか、あいまいになっている今の社会をすぐに変えるべきだと思った。

 第二の方法は、出来事と意見を明確に分けて報道することだ。テレビで専門家の説明を聞くという放送が多々ある。しかしほとんどの場合、専門家が自分の本当に言いたいことを発言できていないように感じる。にも関わらず、専門家がいない場面では、映像の映し方や取り上げ方によって、偏った意見が生まれてしまうような印象を持つことがある。近代歴史学の父といわれるレオナルド・フォン・ランケは、かつての歴史の学問の考え方を大きく変えた人物だ。ランケ以前の歴史は、王を褒めるための記録や、教訓を語るための話が非常に多く、事実よりも筆者の考えが強いものだった。そこにランケは違和感を持ち、当時の人々が残した記録を直接見ればよいと考えた。そこから生まれた方法が、まず史料を集め、比較し、次に事実確認を行い、そのうえで歴史として残すというものだ。この方法は世界中で高く評価され、今でもずっとその方法が使われているそうだ「歴史は実際に起こった通りに描かなければならない」というランケの名言があるが、報道も、実際に起こったことを全て伝えねばならないのだ。

 たしかに、伝える側も自分のために、そして他人のためにも自分の意見を伝えようとする思いは大切だ。しかし、伝えるとは自分の思いを言って終わりではなく、伝えた側にそのものごとについて自分で考えさせるべきものである。だから、日本のマスコミは、現代社会の現状を客観的に伝えることを徹底すべきだ。