イロリの社交は、家族結合の(感)
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年月日
イロリの社交は、家族結合の社交だった。ひとつの火を通じて心が通いあう、そのような不思議な力を火は持っていた。人間を接近させ、親密さを強める効果をもっていることをわれわれは直感的に知っている。火の共有による親密な人間関係に関して、日本文化はいろいろな工夫を凝らしてきた。人間は実用性を超えて、火を人間関係調整の手段としても展開させてきたのであった。私はこの文章を読んで、人間の心を和ませてくれる火のような非合理的な気持ちを大切にして生きていたいと思った。
そのための方法としては第一に、自分の心の声に耳を傾けることである。そうしないと、日々の忙しさに追われて余裕を持てなくなってしまうと思う。最近、教室から見える海を眺めては「海へ行きたい」とぼんやり妄想するような時間が減ってきた。それは中三になってから課題や提出物が増えてきたから、といえばそうである。しかし、それを理由に数少ない自由時間をスマホいじりに費やしてしまう自分にも非がある。現に、絵を描くのが趣味といっているわりには、あまり絵を描いていない。私はこの日々の行いを振り返って、「これをしたい」「あれに挑戦してみようかな」といった自分の気持ちに応えられていないのだと気づかされた。そのため、これからは自分の気持ちに耳を傾け、多くの感性を育んでいきたいと思う。ただ、一つのものにのめりこむとそれに時間を無制限に使ってしまうことが良くあるので、勉強とのバランスを取りながら自分のしたいことをしていきたい。
また第二の方法として、社会の仕組みも非合理的なものを大事にするような余裕のあるものにするべきだ。そうすれば、毎日の疲労から解放され自分のために時間を過ごすことができる人が増えるはずだ。私は、経済の授業で二〇〇〇年代に雇用の規制が緩和されたことで、非正規雇用の人が増えたことを知った。会社側からすれば仕事ができない人は切り捨てることができるというメリットが生まれる一方で、働く側からすればいつ職が無くなるかわからない状態で、会社のために死ぬ物狂いで働かなければいけなくなる。つまり働く側は個々の時間を削って仕事を最優先で行わなければならない。私はこのことを聞いて、このような国民を締め付ける社会の仕組みがあると、心のバランスを崩す人が増えるのではないかと思った。同時に、人間の感情や価値観、日本の文化的背景を考慮した仕組みを私たちで模索していくことの重要性に気付くことができた。
確かに、非合理的な気持ちばかりに重きを置いておくと、ものごとを論理的に考えようとしなくなってしまう。つまり、自分の感性だけで決断し続けていると、根拠を持たないうえに利己的な考えに陥りがちになってしまうだろう。私の経験では実際、学校で模擬ディベートを行ったときに、集団戦であるのにリーダー的存在である二人が「こっちのほうがなんだかよい気がする。」という個人的な理由で決めてしまったせいで、私含む大多数は動揺し納得いく結果とはならなかったことがあった。私はこのとき、感覚的に決定してしまうことの危うさを痛感した。しかし「雑草とはまだその美点が発見されていない植物のことである。」という言葉もあるように、私は非合理的な気持ちを大切にすることで、ものごとに対して偏見を持たずにより柔軟な考え方が得られるのではないかと思う。私は、型にはめて頭から決めつけてくる人が苦手で将来そのような人にはなりたくない。毎日忙しいけれど、私自身は自由な発想を大事にしながら感覚を磨いて感受性豊かな人になって