マスコミの役割
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日本では確かに政府による厳しい検閲や特定の団体による弾圧は感じられないが、言論機関による少数意見の抹殺や世論操作に近い誘導があるように感じてならない。これだけの数の新聞と雑誌があるというのに取り上げられているテーマはほとんど同じ。その原因は商業主義、売れ筋ならなんでもやるという本来のマスコミの役割から外れた競争原理に基づいているように思われる。マスコミは様々な視点からの報道をするべきだ。
第一の方法は、利益を一番に重視しないことだ。特に、新聞やテレビなどは、社会の不正や違反を社会的に監視していく公益的機能を担っている。利益を最重視してばかりのマスコミのみでは必然的に報道の内容もトーンも偏向的になってしまう。それは、利益を重視するSNSの動画の多くが人々にとって耳障りがよく、受けやすい報道をするために事実を曲げて伝えていたり、強力なバイアスが入っていたりするのを見れば明らかである。私が読んだ本によれば、水俣病やエイズなども新聞社は情報を握っていたにもかかわらず大々的に報じなかったこともあり、被害が拡大してしまったのだという。国民に必要な、正確な事実と様々な視点からのその事実の解釈を提供し、国民の判断材料を増やしていくマスコミの本来の使命を意識することが大切だ。
第二の方法は、国民が自身の信条とは相容れない意見でも頭から跳ね除けないことだ。人間はどうしても自分の信じている事に対する否定を受け入れられない性質がある。しかし、かといって真っ向から批判を拒否しては進歩につながらない。例えば自身がスポーツ選手だったとして、上達するには他の人からの客観的な批評が必要なのと同じだ。そしてたいていそこには否定が多かれ少なかれ含まれている。そしてその否定と改善法を受け入れる事で前へ進んでいく。同様に、報道においても同じトーンのニュースばかりを受け入れていては自身の中の偏見や差別は増長されていく一方だ。様々な視点を受け入れる事でより客観的に、事実を正しく認識することができる。
確かに、大きな世論の流れにはどうしても影響されてしまうのは致し方ない。また、言論の自由が保障された今だからこそこのようなことが言えるが、言論統制下では政府の意向に従うのはやむを得ない。日本でも戦前戦中は新聞紙法などで言論統制が敷かれ、検閲が行われていた。しかし、少なくとも現代の日本でのマスコミはその限りではない。反体制的、弱者に寄り添った報道が絶対的な正義だという考え方を捨て、それぞれが独自の考え方の下で情報を伝えていくのが大切だ。