日本人が淡白である代わりに、

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 淡白好みの通人たちが考えだしたしガタが若であり俳句であって、短い言葉は世界に類が少ない。和歌と俳句の相違はありながらも、実によく似ているのは、言葉のいわゆる論理に背を向けていることである。感覚的に全体を直感で把握する。「いひおほせて何かある」……そう芭蕉は言っている。完結した表現、整いすぎた言葉にならないことを、これほど端的に述べたものは少ない。「いひおほせ」ないためには論理でもなんでも犠牲にして顧みない。

理屈ではなく、直感に訴えようとする日本的なコミュニケーションの取り方は良いと思う。

 その理由は第一に、相手の言いたいことを読み取ろうとすることで思いやりの心が育つからだ。日本人は、優しさで、相手が少し何言ってるか分からなくても、わからなかったところを想像して、答えることが多い。これは、日本人の思いやりの一つなのではないか。海外に行く時、日本語を話している国は、おそらくないだろう。そんなときに、完璧にその国の言葉を喋れる人は少ないと思う。アメリカに行くならば、英語だ。英語だったら、文法は完璧に覚えてなくても、単語は少しは覚えているだろう。日本人がアメリカに行ったら、その少し覚えている単語を駆使して買い物や軽い質問、対話などができるだろう。逆に、アメリカの人が、日本にいても同じだ。長く日本にいる人は、意外と僕らに話しかけてくる。一年位前、海外の人に道を聞かれたことがある。その時は、翻訳アプリも少しは使っていたと思われるが、片言で頑張ってぼくに伝えようとしていた。こういうときに、日本人は、頑張って聴きたくなる。日本にきたばっかりの外国人は、喋ることもしてこない。しかし、日本に慣れると、結構会話をしてくる人がいる。これは日本にいて、日本人のような思いやりあや、優しさがついたのだろう。これからも、思いやりを生かして、良い人間関係を送れるように、頑張りたい。

 その理由は第二に、短い言葉から想像を広げることで感受性が豊かになるからだ。読書感想文で、とても長く文を書いてもどこが要点かわからず、文が長ければ全てよしではない。小学校で、季節ごとに俳句や川柳といった短い文を書く。ぼくの経験上、小学校で授業で作文は書いた覚えはない。読書感想文や、夏休みの応募課題では、やったことがあるが国語の授業で作文を書いた覚えはない。俳句や川柳では、短い文で要点を伝えようとするから要約力がつく。さらに、季語を入れろと言われることがある。季語を入れることによって、季節の言葉や大事なことがしっかり頭に入る。長い文だとどこに入れたらいいのかわからなくなってしまうこともあるが、俳句や川柳などだとそれがないから、とても読みやすい。その点で言うと、54文字の物語という本が、とても読みやすい。54文字で、人ストーリーが完結するから、どんどん読めてしまう。だからこそ、長々しい分よりも、短い言葉で想像を広げることも大切だ。

 確かに物事を理屈で考えることも必要だ。しかし「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使える人間になることが勉強の目的である。」という名言があるように、短い言葉を効果的に使うことが大切だ。