子供時代の遊び

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 学童の遊びには多くの創造力や抽象思考力が入ってくるからきわめて多彩なものになり、すでに三歳頃から認められたことではあるが、低学年では特に「何々ごっこ」が盛んになる。しかもその度に本気で誰かほかの人物になったつもりになり、例えば右の場合ならその度に勇猛心や冒険心が心に湧き上がるらしく、それは遊びを一層面白くするばかりである。こうした面を発達させるために、学校の国語教育や作文の授業は極めて大切な役割を持っているに違いない。

確かに、幼少期時代に行っていた遊びから得るものは多い。私は幼稚園年長のとき、クラスの女子五・六人で毎日欠かさず「お母さんごっこ」や「家族ごっこ」を行っていた。家族ごっこでは役割を全員に割り振り、人間からペットまで完全再現していた。大体女子のみで行うが、雨の日は外で遊んでいる男子も室内で遊ぶため、暇そうな男子を誘って貴重なお父さん役をやってもらったりした。私はお母さんかお姉さん役を主に担当していた。お母さん役のときには幼稚園にあるおままごとセットで料理を作っていて、お姉さん役のときには一年後に小学生になるからと、小学校に行く気分で、

「行ってきまーす。」

などとやっていた。また、お母さんごっこでは全員お母さんを演じていた。私がこの遊びの中で一番印象に残っているのは、お母さんの口ぐせ今考えてみればお母さんが何人もいるなんてどんな思考をしていたのだろうかと思う。しかし、実際の家庭ではお母さんが二人ほどいたら、お母さんが一人で家事をすべて行う必要がなくなるし、息抜きもできるのになと考えられる。このことから、お母さんごっこをやっていたときに、私たちがまだ幼かったため世話が焼けて、お母さんが忙しくしている姿を見ていたから、このごっこ遊びを行っていたのかなと思った。

しかし、勉強において努力を積み重ねなければ身に着かないものもある。昔話の金太郎では、子供のころから山で動物たちと遊んだり、力比べをして体を鍛えることをしていた。体を鍛えていたので、力も強くなり、強さが都に認められ、立派な武士になる。この話から、強くなれたのは生まれつきの力だけではなく、日頃からの努力の積み重ねだと思う。もし、金太郎が動物と力比べをすることや遊ぶことを非難していたら、力もつかず、武士になることができなかっただろう。

私は、中学に入って英語の暗唱をする機会が増えた。小学生のとき日本語の暗唱はやっていたので、そこまで難しくないかなと思っていた。しかし、私の想像とは全く違い、毎日20回程音読しないとスムーズに暗唱できないことが分かった。そのため、面倒くさがらずに努力を毎日続けることで力がつくと感じた。

これらのことから、身に着けたいちからがあるのなら、努力や勉学をコツコツ続けなければ、身に着けたいと思っても身に着かないのだということが分かった。

確かに、子供時代には遊ぶことも勉強をすることもどちらも大切だ。しかし、最も大切なことは、「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独特の価値を持っている。」という言葉があるように、大人になったらできなくなるような子供時代にしかできないことを思う存分行って、後悔しないことである。

だから、私も大人になって「○○しておけばよかった」と子供時代への悔いが残らないよう、今を大切にし、今しておきたいことをしっかりとやっておこうと思う。