ここ数年のテレビ、ラジオ

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 日本は言論の自由が確保されている一方で、報道の偏りや商業主義によって中毒的欲望を煽る報道が多々ある。筆者は、意見と事実を分けて何が正しい情報なのかを明確にして報道し、マスコミが危機回避の役割を果たすことを必要としている。私はまず、日本のマスコミは過剰な商業主義とステレオタイプな報道を克服すべきだと考える。

 その方法の一つ目として、私たち視聴者が商業主義の強いマスコミを避けることだ。私はNHKのニュース番組を基本的に見るようにしている。なぜなら、民放のニュース番組は画面の端に次に伝えるニュースや商品紹介のコーナーに関する煽り文句が書かれていることが多いからだ。民放であるからこそ、スポンサーとの関係や視聴率は大切であるため、視聴者を確保する工夫が番組の至る所に凝らされている。よって、私たちは他にやることがあったとしても、何となくテレビを見てしまい、時間を無駄にしてしまう。私の家族は民放特有の報道の仕方が苦手であるため、昔からNHKのニュースを見ることが基本であった。そのため、NHK以外のニュース番組を見ると、その時に流れている報道とは全く関係ない次のニュースの題に意識が向いてしまい、集中して報道を聞くことが私はできなくなる。

 方法の二つ目として、社会でマスコミの役割について考えることだ。近年、とある会社の記事の内容と、その他の同業者による記事の内容がほぼ瓜二つであることが多い。目立って政府に反抗した記事やそのまた逆の記事はない。また一方で、報道内容を多角的な視点で見ることができている客観的な記事も少ない。このようにマスコミによる報道が画一化されているのはどうなのだろうか。明治・大正時代のマスコミ、いわゆる新聞記者による記事は、政府に対して記者からの意見を積極的に反映していたようだ。そのため、新聞会社によって報道の観点や批判、肯定する箇所が異なっていた。このような状況は昭和の後半から平成の前半にも見られていた。しかし、マスコミによる報道内容が偏っていた時代、第二次世界大戦時中は、政府に肯定的な新聞社、テレビ会社、ラジオ会社しか存在しなかった。結果、戦争が正しい、負けの状況に近づいているにも関わらず日本が米国よりも強いのだというプロパガンダを生み、日本は敗戦国となった。現在の日本も、戦時中までにはいかないが、大半の人が同じような思考を持つプロパガンダのようなものが生まれているのではないだろうか。日本の未来を守るためにも、同じようなことを口揃えて報道するマスコミについて、客観的かつ会社自身の意見も持っているマスコミになるにはどうすればよいのか考え直す必要がある。

 確かに、大きく話題にあがり、日本国民のほとんどが関心のあるニュースを扱うことも大切だ。しかし、SNS社会において、わざわざSNSでも話題になったものをもう一回大きく取り上げる必要はない。マジョリティの意見をより大きくするのではなく、マイノリティの声を大きくできるようにする工夫を、メディアとしての歴史があるマスコミがする必要性が高いと思う。このようなことから、日本のマスコミは営利主義的な動きを減らし、決まりきったテンプレートのような報道を克服していくべきだと私は考える。