便利・豊かさ・快適さ、求める前に重要なこと
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年月日
私が市場へ行く道は、いかにも自然発生的な細かくやさしい人間のふみならした道だ。ところが、その道は最近アスファルトがしかれてしまった。夏の日は、照り返しがきつく、それに風情がなくなった。道にはしゃれた石、虫の市街、雑草の可憐な花、ラムネ瓶の破片、石炭のかけら、鳥の花。いちいち心を止めながら、ゆっくりと子供は楽しみながら歩くのであった。舗装さえた道にはそんな、手に取りたいようなものは何もないのだ。もちろん舗装された道も場合によっては大切である。しかし、一番道らしいのは、人間の暮らしを暖かに支え、いろいろなものを発見することのできるふみしめられた道である。
私の近所の川はカーブが多いため、削られてしまいやすい。そのため、工事が行われて、土がコンクリートに変わったり、流れが直線になったりした。すると、梅雨に大雨が降っても氾濫することはなくなった。しかし、私にとってその川は釣りをしたり、網で捕まえたりした、思い出の詰まった川なので、少し寂しく感じる。また、すべてコンクリートになってしまったため、もといた魚がいなくなってしまった。そのため、殺風景で本当の川の魅力が伝わってこなかった。工事をしたのは、安全面を考えた上で行ったのであろうが、川というのは子供に自然の教養を教えてくれたり、鳥が川の水を飲むように生物に欠かせなかったりする存在である。以上を踏まえ、ヒトの命は守るべきだが、自然と共存するうえで受け入れるべきことだと私は思った。
これは母から聞いた話だ。私が生まれる前に家の目の前の用水路で護岸工事が行われた。用水路には、川エビや手に触れられるほど大量のホタルなど多様な水生生物がいたらしい。しかし、工事が行われるともちろん、川エビやホタルは減少し、それを食べる鳥なども見かけなくなった。母は、その出来事に対し、自然もしくは安全、どちらかを優先するのではなくて、自然も安全面も大丈夫にできるように今の科学技術を生かすべきでないかと考えているそうだ。私はその話を聞いて、自然を人工的なものに変えるということは、生物などと失うことがあり、元に戻すことはなかなか困難なことであるとわかった。また、自然というのは一つ失ってしまうと、ほかのこともつながって失っていってしまうということも分かった。
自然から人工的なものに変わるのは、人間が便利・豊かさ・快適さを求めるうえで起こりうることだ。しかし、そのような豊かさというのは自然からこそ成り立っていることだ。また、自然というのは多様な生物がすむように魅力が存在する。魚を得て筌を忘るということがあるように、ヒトは目先の豊かさばかり優先し、土台である自然を破壊することを続けていった。その結果、自然の魅力を感じることのできる場所が減ったり、環境問題が起きたりするなど、問題が多発している。これからの時代、地球を守り抜き自然と共存していくならば、先のことを考え、付き合い方を見直すべきではないだろうか。