言葉の大切さ
小6 あさくさ(asakusa)
2026年3月4日
言葉とは私たちにとって大切なものだ。だが、言葉よりも大切なものがある。声だ。声が無ければ言葉もなかったかもしれない。端的に言って、私たちは、お話を文学、文学のうちでも、文字によらず声によって伝達される文字、と考えています。そしてこの「文学的価値」は私たちの心を楽しませ、人間についての私たちの理解を助けてくれるものということの表現ができる。そして、心を楽しませることの中には、内容だけでなく、その表現力の形式からくる美しさが、私たちの心を楽しませることなのだ。そのお話を代表するというのは、やはり昔話だ。子供というものはやはり親から聞いたものを一番にして取り込んでゆく。そして昔話は親から読んでもらうことが一番多い。昔話で言ったことを一番、自分で読んだ本よりも頭に残る。そして昔話こそが子供の文学の勉強になっている。昔話は、文字の元の形いっても良いのですから、そこには人間が物語を生み出し、それを支えてきた心の動きや力の元が内蔵されています。昔話に親しむことによって、「物語」やそれを「語る」ことの意味が少しずつ分かってくるように思える。
僕は、昔話で育ったようなものだ。けれど話が違う、かの有名な昔話ではなく、英語の本であった。母は一生懸命頑張って読んでくれた。だが僕にはその意味がだんだん分かってきた。その昔話は正直のほうがいいやら助け合いやらとかがあったが一番印象に残ったのが友情だった。助け合いというのは単なる友情ではなかったのだ。一人は、一人ぼっちで友達もいなかった幽霊扱いされたこともあった子だった。だがそこにもう一人いじめられていた子がいた。その子はいじめられながらも何事もなかったように笑っていた。その子がひとりぼっちだった子に話しかけたのだった。そこから二人は親友になった。その友情に感動した。そして僕は最初英語が喋られなかった時僕はいじめを受けていた。学校に行くのがいやになったがそしてもう一人いじめられていた子がいたのだが、その子は何事もなかったように笑って話しかけてくれたそこで僕はさっき言った話を思い出したのだ。だから僕はそのお話を今でも覚えている。だからお話というものは偉大だなと思った。
これは、母から聞いた話だった。母は子供の時おばあちゃん(僕にとってのひいおばあちゃん)から金の斧銀の斧とオオカミ少年の話を聞かされていたらしい。その話を聞いたからか、母は正直者になった。だから僕に正直者にしたかったのかその話を何回も聞かされた。その話は僕でも覚えている。だが僕は平気で嘘をついてしまう。そしてその嘘はものすごくわかりやすい。だから最近もその金の斧銀の斧とオオカミ少年を聞かされている。
人間にとって、言葉や話とは人生において一番大事といっても過言ではないと思う。言葉は人間とって最大の発明だと思う、もしかしたらあなたたちは携帯だと思うかもしれないそれも一理ありますだがベースは言葉から始まる。言葉がなければ文字もないかもしれない。文字が無ければ携帯はどうやって動くのか。だから全てベースは言葉からきているのです。だから、人間にとって言葉や話というものは人生において一番大事なものだと思う。