今、日本の都会では、路上で(感)

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 昔、訪問販売で詐欺にあったことがあった。日本では路上の販売はあまり見かけないが、路上販売や訪問販売にはリスクがつきものだ。スーダンの路上で煙草屋から一箱買おうとした。一度にたくさん買えば煙草屋も喜ぶだろうと思ったのだが、ほかの人の分がなくなるから全部は売れないと言われた。事情を知った僕は一本だけ買い、いい気分になった。私はこの文章を読んで、人間的なコミュニケーションを大切にして生きていきたいと思った。

 そのための方法としては第一に、人との触れ合いを大切にしていくことである。それを意識することで、私のような人付き合いが苦手な人でもコミュニケーション能力が身について、いろいろな人と会話することの楽しさに気付けるようになると思う。私は毎日電車を使って通学しているのだが、そこでせっかく一緒に帰っているのに話さずにスマホから視線を離さない女子高生たちをよく目にする。そしてそれを見るたびに私は、「話さないで楽しくないのかな」と思う。ただ実際自分の行動を振り返ってみると、彼女らと全く同じことをしていると気づいた。私は友達とお弁当を食べているとき、お互いの話が尽きると毎回スマホいじりを始める。スマホを見ることが場を保つための手段となっているのだ。私自身これから社会に出ていくにあたり、もっとコミュニケーション能力を身につけなければならないと思っているのに、友達同士の会話も十分に続かない。この自分の欠点を直すために、まずは友達との会話を増やすように意識し、多くの人との触れ合いも重要視していきたいと思う。

 また第二の方法としては、社会自体も機械に頼らず人間どうしの触れ合いを重視したものにしていくことである。そうすれば無意識に人と会話する時間が増え、人間的なコミュニケーションを大切にする気持ちが生まれてくると感じる。小学生の頃私は父と一緒によくマグロ屋さんへ訪れて、そこでマグロの切り落としを買っていた。そこはおじいさんが経営しており、小さい私をとても可愛がってくれて、結構な頻度でヤクルトをプレゼントしてくれた。私のことをかわいいと褒めてくれてプレゼントもしてくれたことがとても嬉しくて、おじいさんにずっと笑顔で「ありがとう」と言っていたことを今でも鮮明に覚えている。しかし今はなんでもデジタルの時代で、大手のスーパーやコンビニではセルフレジの導入が進んでいる。個人的にスーパーでの買い物で苦い経験があるので、初めこそセルフレジの増加は嬉しいと思った。だがこのような形で機械に頼ることによって、私がしたような貴重な体験をする場が奪われてしまうと気づいた。単にものが手に入るというだけでなく、人同士のやりとりは毎回いきいきとした呼吸があって、温かみがある。だから私は、何でもかんでも機械に頼るのではなく人との触れ合いを重視した社会を作っていくべきだと思った。

 確かに、機械に頼ることで人間の労力が軽減され、社会が発展してきたという歴史がある。しかし「経験は、最良の教師である。」という言葉もあるように、いろいろな人とコミュニケーションを取ることは、自分の人生を豊かにするし、ときに支えになるものだと思うくらい重要であると私は感じている。学校の授業でも、ただ教科書の内容を説明する先生よりも、血肉になった言葉を熱く語る先生の授業の方が、私自身よく理解できるし、内容が難しくても定期テストの平均点が高かったりする。無駄を排して表面的なことで終始するより、面倒くさくても人間らしいやりとりに身を置く方が経験となることが多い。だから、友達が少ない自分をただみじめに感じるのではなく、純粋に人との触れ合いを楽しみながら少しずつ気を許せるような友達をつくっていきたい。