「日本人が淡白であるかわりに」

   中1 あさくに(asakuni)  2026年3月2日

 要約:日本人は非常に淡白だ。「うるさいものは嫌だ」、「ごてごてしてたら面白くない」と当たり前のように感じる。なので、全てを省略し、単純にしたがる傾向がある。それがわからなければ、相手にされずハミゴにされてしまう。そのような性質の人々が作り上げたのが5-7-5の俳句や5-7-5-7-7の短歌だ。素堂の俳句や松尾芭蕉の言葉などを使って、説得力も増している。ここまで短い文学作品は世界でも類を見ないし、珍しい。この「言葉の正確さをすべて否定し、直感で意味合いを生成させる」というなんとも言えない気持ちの良い特質がある。

私は直感よりも理屈が必要だと主張する。一つ目の理由として、単純に聞こえが悪いからだ。私の吹奏楽部の知り合いと最近そこそこ喋るのだが、その人は「理屈よりも直感」を体現したかのような性格なのだ。話をしているときも私の考える「核」、確立したイデオロギーが無いので、深く言及するよう尋ねたり、関連した物のことを話したときは、「わからない」と言ったり、コロッと意見を変えたりもする。まさに風船のようだ。新しい風が吹いたり、高度の所まで上がっていったら、破裂するかどこかに浮遊するかの二択しか手元にないのだ。このような喋り方をされると今までわかってきた情報やその人の考え方が全てチャラになってしまい、再び話し出すのに非常に手間と精神力が必要だ。そんな揺らぎやすい考え方と直感だけで喋り、日々を送っている風船男は私が苦手とする人のトップスリーに入っているといっても過言ではないだろう。決して誤解しないで欲しい。私はこの方の悪口を言っているのではなく、理屈よりも直感を重視してしまったら、そう聞こえてしまうかもしれないというただの例として使わせてもらっただけである。これは裏を返せばしっかりとした自分なりのものの考え方などが無かったらどんどん自分の人としての存在や価値が変わっていってしまうのだ。皮肉なことにこれも「理屈」、自分で深く考えないといけないので、非常に壊滅的な状況になってしまっている。こうなる前に、なるべく予防線を貼っといた方が良いと広告させてもらう。

二つ目の理由として、理屈がないと基礎がないからだ。前の段落では「理屈よりも直感」を非常に強調させてもらったが、一番良い結果は理屈が土台で、直感が上の「おまけ」の状況だ。任天堂のマリオ、ドンキーコングやリンクの生みの親の宮本茂は「計画段階では理屈に頼るが、一番重要なところでは直感に頼る」と言っている。皆さんきっと忘れていると思いますが、我々も一応動物だ。腹も減るし、夜になれば眠くなる。なのでもちろん、動物としての本能は「直感」という形で今も我々の中で生きているのだ。「それだったら、毎回直感だけで生きていけばいいんじゃない?」という意見もあると思いますが、そうはいかないのだ。例えそうしたとしても、それは第三者から見たらただの馬鹿にしか見えない。気分と奇跡だけで悠々自適に生活できる世の中だと良いのだが、そうはいかないシュ本主義の世界だ。能力ですべてが判断され、それに合った報酬が来る。それに加え、激しい競争もある。そのようなところで良く抜くためには当然前知識や自分としてのアイデンティティーが必要とされる。実際、宮本茂率いる任天堂の営業利益は約20%増加している。もちろん第六感は必要だが、理屈で固めたしっかりとした意見の上に最後の決定として使った方がいいと思う。

このように聞こえが悪いのと基礎が土台としてないと成り立たないことから、私は直感よりも理屈が必要だと断言する。確かに直感が理屈よりも重宝されたら、自分の判断が精神的なストレスにもならず、気楽に生きていけるだろう。だが、ストレスが人を強くしてくれるものであり、それから逸脱してしまったら、自分をわざと無能にしているのと同然だ。「私は理屈で描くのではない。だが、理屈を知らずしては書けぬ。」これはあの有名なモナリザを書いたレオナルドダヴィンチがかつて残した名言だ。この名言は私が提示した二つ目の「理屈が基礎であるべき」と重なり、その重要性は確かだ。直感だけで冒険できる大航海時代ではないので、努力の必要性を叩きつけられた作文でした。