清書

   中1 あかさふ(akasahu)  2026年3月4日

 端的に言って、私たちはお話を文学ーー文学のうちでも、文字によらず、声によって伝達される文学ーーと考えています。

したがって、ここで扱うお話は、話そのものに文学的な価値があることを前提とします。

さて、ではそういう作品をどこに求めるかということになりますと、具体的には昔話と創作(主として子供向きの短編)ということになります。

昔話の中には、単に語ることから生じた表現の形式や民衆の文字てあることからくる内容の普遍性ということだけでなく、

何かもっと大きな力が隠されているような気がしてなりません。

お話に興味を持つ者にとっては、昔話は、絶えずそこに自分をうるおしにかえっていかなければならない泉のようなものだと思います。

例えば、この十年間程度で「オーディブル」というものが出てきた。オーディブルとは本の内容を音声で読み上げてくれるものだ。

これは、本を読みたいが時間がなかったり、本を持っていくのがめんどくさいという人のために、できた。

どのようなときに聞くのかというと、ランニングやウォーキング、作業中に聞くことが多い。

実際、私もウォーキングをするときにオーディブルを使ってみたが、歩いても風景があるはずなのに見えないように感じながら歩いていた。

まさに、オーディブルの効果によるものだろう。オーディブルは暇つぶしや集中力を上げる効果がある。

また、オーディブルには暇つぶしや集中力を上げる以外にも音声で本の内容を伝えることでいろんな人に口でその本の内容を広めてくれたり、

SNSなどで本の面白さが伝えられることで、いろんな本が読まれるようになったり、古い本の伝承方法の一つにもなると思う。

オーディブルは音声による効果で本の面白さ、緊迫感、悲しさなどを人に伝えることができ、本の市場価値が上がる。

オーディブルはモーゼのように本の市場を音声の力で救ったのである。今までになかった視覚を聴覚にすることで、新しい道が切り開けた。

また、視覚を聴覚にするといえば、人間にも音声の力により、人が助けられた例もある。

東日本大震災の時、岩手県の釜石(岩手県南東部)というところで釜石の奇跡ということが起こっていた。

昔から釜石市の小学校中学校では、「津波てんでんこ」というものが伝えられていた。

津波てんでんことは津波が来たときは、誰も待たず自分で急いで高いところに逃げろという伝承である。

そのおかげで、実際に津波が来たとき誰も予想できない大きな津波だったのにもかかわらず、570人もの人が津波てんでんこの教により助かった。

昔から伝えられてきた教えによりたくさんの命が助かった。これは、聞いていたことを見えるようにできるようになったことで起きたものだと思う。

このように、視覚を聴覚にしたり、聴覚を視覚にする。これが新しい道を作り出したりする。

私は聴覚は視覚になり、視覚は聴覚になる、そしてそれが新しい道を切り開くと思う。これを聞いてもよくわからにという人もいると思う。

先ほど言った通り、たくさんの本が音声になり伝えられることで本の市場価値が上がったり、音声で伝えられてきた伝承のおかげで人の命を救ったり。

まさに視覚を聴覚に変え、聴覚を視覚に変えている。まるで自由自在に。これが、新しい道を切り開く、のかもしれない。

切り開かれた道が人間にとっていい影響を与えるか悪い影響を与えるかそれは誰にもわからない。

でも、少なくとも新しい道を切り開く。だったら、どのような影響を人間に与えようと私はいいと思う。

ぜひ、視覚を聴覚に聴覚を視覚に変えてみてほしい。そしたら、新しい道が切り開け、人間は変わると思う。