日本のある会社が香港で

   中1 あさくに(asakuni)  2026年3月3日

 要約:香港の「我は達者」、「私はペラペラ」という強靭な精神と比べ、日本人の「謙譲の美徳」は自分を封じ込んでいると思われる。「あなたは英語喋れる?」と聞かれたら、よほど流ちょうにちゃべれる人でない限り、大抵の日本人は「いいえ」や「チョコっとだけ」と応答し、かわす。香港人の方々もただただ馬鹿の一つ覚えで「コンニーチハ」と話しているのではなく、自分の出世、自己PRのためにどんな無理難題でもとりあえずできることにしといたら良いのだ。

私の意見としては日本人はこれから少々自己アピールをした方が良いと思う。その第一の理由として自分で自己の成長を止めてしまう可能性があるからだ。一応どの社会にもある程度の「型」、いわゆる「デフォルト」が存在する。日本のような内向的な国ではその型にはまっていた方が目立たず、人にアンチや嫌みを言われることもない。だが、その一見安全そうに見える甲羅の中に入っていては外の世界が見えず、「井の中の蛙、大海を知らず」を体現するような状況になりかねない。これで自分が知らない自分を開拓するチャンスを捨てているだけではなく、自分で自分の葉っぱを切っているのだ。「葉っぱ」という比喩を使わせてもらったが、植物も太陽を利用し、光合成をして成長するように、人間も他者を利用し、嫉妬と競争心で成長していると思う。よくアスリートなどが「過去の自分と競争していたらこの舞台に立っていました」と言いますが、私はそれにほとんど共感できない。もちろん「謙虚さ」は重要なことだ。だが、謙虚さだけで行っていたら、虚無の領域に入ってしまうと思う。実際私も学校での成績が悪くなり始めたとき、「もっと謙虚に、自分のペースで頑張っていこう」と自分に言い聞かせていた。しかし、ある程度から、その謙虚さが心の空白にいつの間にか変貌していると気付いて、「これは何とかしなければ」と自分の中で「緊急事態宣言」を出したほどだ。それで「何をしたらこの「穴」をふさげるだろうか」と思ったとき、「人間らしさ」別名「欲望」、「競争心」、「嫉妬心」だろうと閃いたのだ。話が脱線したが、この「葉っぱ」を思う存分伸ばしていたら、美しい花を咲かせる機会が設けられる。代わりに、「あんなに伸びているなんてけしからん」と他の「害虫」が襲い掛かってくる危険性もセットで付いてくる。もちろんこの工程で食われる物も出てくるが、その結果は思い切って挑戦したからこそ出てきた結末なので胸を張れるものだと思う。なので、「挑戦」ということと「最悪の結果」を紐づけしてそもそも自分の身を投げ入れるのを拒むのではなく、現代のような社会全体が「新星」をもみ消そうとしている今こそ、個人が輝き、日本を牽引していくべきではないか。

二つ目の理由として自己アピールすることにより「新たな自分を見つける」ことができるのだ。前段落でも述べたように、「自己アピールができていない」を逆にとると「自己防衛のしすぎ」と解釈できる。この場合だともちろん挑戦もできないし、私の言う「自分改革」にも繋がらない。だが、人前に立ち、「甘えてられない」と思うようになったら新たな自分が顔を出すのだ。私の経験上このひょっこり出てくる「もう一人」の自分はバリエーションに長けており、ある意味娯楽ともとれるぐらい面白い。私のようにこの現象を見るためにどんどん自分の身を投じることに快感を感じるようになったらほとんど心配しなくては良いが、この境地に入るまでが困難である。「恥ずかしい」や「どうしてもヤダ」までは良いのだが、「言ったらみんなから反論される」と恐れ、第一歩を踏み入れなければ何事も始まらない。PR Timesによると日本人の7割が自己肯定感に問題を抱えていると言っている。やはり自己肯定感、自分に自信があるからこそ「自己アピール」が可能になるのでもちろん日本人の7割以上がこの能力に自信を持っていないないと推測できる。社会に古風さが残っているからこそ、個々の独特さが鮮明に写り、進歩して行けるのだ。

自己の成長を止めてしまう可能性と新たな自分開拓のため、日本人は少々自己アピールをした方がいいと思う。少々と言わしてもらったが、やりすぎてしまったら共感性がなくなってしまうと思ったから「少々」と書かせてもらった。確かに謙虚さを重視すると本当に自分と見つめ合い、過去の自分と戦うことが可能だ。だが、それに慣れてしまうと人間的要素が失われ、最悪の場合欝になる可能性がある。これは私の尊敬する岡本太郎の名言が過去に「どんどん過去の自分を否定していかないといけない。昨日までの自分なんか、蹴飛ばしてやる。そのくらいのつもりで、ちょうどいいんだ。」という言葉を残した。これは私の二つ目の理由である、「新たな自分を見つけるため」に共通することだが、「どんどん未知の領域に入っていかないと自分は進歩できない」と解釈した。この作文を書くのに要した時間は「努力とは何だろう」と考えさせてくれた非常に有意義な物だった。