昔話の大切さ(清書)

   小6 たくみ(nomutaku)  2026年3月4日

 端的に言って、私たちは、お話を文学ーー文学のうちでも、文学によらず、声によって伝達される文学ーーと考えている。これらの話は、子供に大変喜ばれるし、子供との気持ちの交流という点からいうと非常に貴重だ。でも、内容や表現が吟味され、個人的なつながりを持っている人だけでなく、もっと一般的に通用する文学的な価値をもつ場合を除いて、こういうお話は含めない。昔話は、文学のもとの形といってよいものだから、そこには、人間が物語を生み出し、それを支えてきた心の動きや力のもとが内蔵されている。

 僕は、小学校に入る前まで、お母さんに読み聞かせをしてもらっている感じで、日本のいろいろな昔はなしを読んでもらっていた。その中でも、特に僕が気に入っていた昔ばなしが、金太郎というものだ。これは、金太郎という子供が、熊と相撲を取ったりするお話で、最後に、金太郎が、木を倒して、谷に橋をかけて終わるというものだ。特に、その当時は、熊と金太郎が相撲を取って、熊のほうが力が強いはずなのに、金太郎がそれを持ち上げてしまうということがとてもびっくりした。また、木になっている柿の実を取るときにも、サルよりも高いところまで軽々と登ってしまうというところも、これまた非常識なことだ。だが、最後には、金太郎が仲間が、道が谷になっていて困っていた。道も他になくて、そこで、金太郎が木を倒して谷に橋を作ってしまうことが、一番驚いた。そこで、金太郎は力持ちだけど、ただの力持ちということではなくて、優しい力持ちということ、つまり、一番大切なことは優しさだというところを教えてくれていたのかもしれない。それはまるで、何かを作るテクニックで、何よりも大切なことを教えてくれているみたいだと思った。また、一番大切なのは、力ではなくて心(気持ち)が大切だということみたいだとも思った。

 もう一つ、自分で読んだ話の中にも印象に残ったものがある。それは、見るなの座敷という物語だ。これは、ざっくりいうと、疲れた若者が娘さんの家に泊めさせてもらって、家には座敷がいくつもあって、開けるなと言われたのに開けてしまい、最後には何もかも消えてしまうという話だ。その中で印象に残った場面は、全部の座敷を絶対にあけるなといわれたのに、娘さんの留守の間に座敷をすべて開けてしまったというところと、そのあと、座敷も家も何もかも消えてしまったところだ。実は、その座敷というものは、1年間の行事が起こっている座敷で、それを、一つ開けてみると、続きが気になって仕方なくなってしまい、結局すべての座敷を開けてしまった。そして、娘さんが家に帰ってきたころに、最後の座敷を開けていたところを見られてしまい、娘さんは鶯になって消えてしまった。結局この本には、ダメと言われると、やりたくなってしまうという好奇心が書かれていて、でも、それをこらえるといいことがある、逆に、約束を破ってしまうと、悪いことになるということを伝えてくれているのかもしれない。それはまるで、失敗できない仕事でやらかしてしまい、上司に怒られてクビになってしまうようなものだと思った。また、失敗をしてしまうと、しょっぱい思い出になるとも思った。

 僕は、昔話は、面白いと思って読むけれども、実は、何か大事なことも教えてくれていると思う。また、昔話とは人間にとって、道徳心を身に着けたり、その物語が言っている本当のメッセージに気づくためのものだ。また、その大事なことが分かると、もしかしたら、棚から牡丹餅のようなことが起こるかもしれないとも思った。僕は、昔話を読むことを通して、登場人物の感情が少し分かるようになった。