モノの意義 (清書)

   中2 あおらえ(aorae)  2026年3月4日

 「もののけ」という妖怪がいる。「ものの気」と書き、気配のことで、それがないと「もったいない」のである。ところで今、かつての「拾う」時代から「捨てる」時代へ大きく転換しつつある。生産力が向上したが消費はそうはいかない。そのときに我々の文明はさらに生産力を向上させ、消費できない分を捨てる選択をした。このためにも、妖怪「もったい」が駆り出されることになった。流通を支える専門家たちは、商品を買って帰り、包装紙を開いたとたんに「もったい」がつくようにしている。かくて流通経済は円滑に機能し、生活は潤い、我々は満足している。我々は生物学的には極めて希有なで特異な「消費を上回る生産」という事態を楽々とこなしているのだ。

 得た物は大切にするべきだ。近年よく資源は限られているというが、それ以外にも利点はある。わらしべ長者という物語がある。ひとつのわらしべからはじまり、紆余曲折を経て大きな屋敷などの豪勢なものとなるという話だ。つまり、わらしべ一つという一見価値のないように思える物でも活用さえできれば途方もない利益が出る場合がある、即ち物を大切に、といっている。実際に工夫を凝らせば活用できるものはいくらでもある。例えば、私は以前学校で提出物にボールペンで書いていた際に誤字を見つけた。周りにいた誰に聞いても修正テープを持っていなかったためバッグに入っていた紙屑同然の紙片を糊で貼り付けて修正テープの代用とした。その紙片を格別に大切に扱っていたわけではないが、一見何の役にも立たなさそうに見えても後で役に立つことがある。

 しかし、ただただ物をため込んでいても利点はそこまで大きくない。逆に損となることもある。だから、時によっては物を捨てることも考える必要がある。7年ほど母が同じ携帯電話を使い続けていたことがあった。そのとき母は電話もできるしインターネットにもつながるためこの携帯電話のままでいい、と言っていたのだが、いかんせんバッテリーがすぐになくなるため数年前に買い替えた。すると、確かに使えてはいた前の携帯電話と比べるとカメラの解像度やメモリーの容量など各種の性能が上がっていて、これには母も買い替えてよかったと思ったそうだ。いつまでも古いもののままではなく、新しいものに順次交換していくことも重要で、これに伴った決断力も大切な能力となる。

 つまり、物を大切にするべきだが、時には物を捨てるという選択も必要となる。しかしながら、そもそも「モノ」とは人が活用するために作り、つかうものである。こうして考えてみると、うまく活用できないのならば物を大切にしても、捨ててもあまり関係ないということになる。かつて発明家のトーマス・エジソンは「アイデアは実行されて初めて価値を持つ」といった。物であっても、活用されて初めて価値を持つのである。物をモノ自身は使えないし、活用できない。物を駆使することができるのは我々を含む意志をもった生命体であるから、物の価値はそれを扱う人によって決まるといえる。その物の役割を理解し、それを最大限に発揮できるように心掛けたうえで、行動に移すことが肝要なのである。