共同体意識

    ()  年月日

 今日では法的社会がふつうの社会となっている。しかし、共同体意識は今も人々の中に生き続けている。知よりも情が尊ばれる。漱石の言う、「智に働けば角が立つ」わけである。共同体の指導原理は、道徳であるから、指導者はその条件として道徳性を身につけなければならない。

 私は共同体意識を大切にしていきたい。

 そのための方法として第一に、ルールよりも人間を見ることだ。まず、お金を貸してと言われた時、基本は「断る」と言うのが賢明だろう。学校でも、長期休みに入る前、先生から「人にお金は貸さないようにしよう」と必ず言われるくらいだ。でも、相手が家族であればどうだろうか。私の場合、急にお金貸してと言われても家族だからと多めに見てしまう。それは信頼があるからなのか。家族とお寿司屋さんに行った際のことだ。家を出る寸前、母から「そう言えば、一定期間現金だけの支払いになったんだ」と言われ、お年玉で貰った現金が手元にあった私はすぐに三万円を渡した。このように長い時間を共にして築かれた信頼関係があるからこそ、単なるルールではなく、人を基準に判断することができるのである。

 また第二の方法として、ルールを執行する人の人間性を見極めることだ。クラスで一時期ディベートが流行った。ディベートはある議題に対し、肯定派と否定派に分かれ、それぞれの主張を言う場だが、そこには審査員が必要だ。勝敗を決める役割がある。しかし、その審査員が公平な心を持たなければディベートがうまく成り立たない。実際に従兄弟の学校では審査員が自分の親しい人のいる側へ有利な判定をしたという話を聞いた。従兄弟はディベートに対する熱量がすごい分、負けたことに納得できず、悔しい結果で終わったらしい。判断をする人の人間性がとくに重要なのだと分かった。裁判でも言えることがある。あるアメリカの裁判のことだ。ある女性が罰金を言い渡されていた。しかし、その女性はシングルマザーでお金に余裕がある生活ができていなかった。そんな人を応援しようと、寄付をしてくれたひとがいたらしく、罰金はなくなったという裁判の動画を見た。コメントをチラッと見てみると、「人間味が溢れている裁判官でいいですね」という文があった。確かに、裁判官はルールを最優先する、ある意味ロボットのようなものというのが当たり前と感じていた。けれど、優先すべきものを生活環境に置き、手を差し伸べられる裁判官も素敵だなと感じた。

 確かに完全に法律に従わないのは、世の中の秩序の乱れに繋がってしまう。しかし、「人間として何が正しいか、で判断することが大切だ」 という名言があるように、うそをつかない、欲張らないなどといった道徳的な正しさを判断基準とするべきだ。だから私は共同体的な考え方も大切にするべきだと考える。